琳派と狩野派はどう違うのか?

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日本の絵画には大きく「大和絵」と「漢画(唐絵)」という二つの流れがあります。
『源氏物語絵巻』などのような平安絵巻、あるいはそのような様式で描かれたものが大和絵です。
鎌倉時代に禅が興り、禅僧たちが水墨画を日本に伝えます。

日本でも水墨画は流行し、これが漢画と呼ばれました。

さて、様式からいえば狩野派はまさに漢画の代表です。
金箔の屏風のイメージが強いと思いますが、あれらもぜんぶ水墨画が基礎になっています。

水墨画に着彩して金箔を貼ったものといっていいでしょう。
漢画ですから、描く画題も中国由来のものが多く、豪壮で格式ばったところが武家に好まれました。

いっぽう、大和絵を代表するのは土佐派、住吉派でした。
王朝絵巻の伝統を引き継いでいますから、人物は引き目鉤鼻で描き、画題も源氏物語、伊勢物語といった平安文学が好まれました。
こうした土佐派や住吉派のスポンサーは公家でした。

狩野派、土佐派、住吉派には代々の当主が相伝する基礎的な技法や絵手本(えでほん)がありました。

いわば「家元」です。
組織もしっかりしていて、弟子の育成体制もちゃんと整備されていました。
代々の当主は、将軍家や有力大名、有力公家の御用を務めたので「御用絵師」などと呼ばれます。

さて、琳派というのは「派」とはいっても狩野派や土佐派とはぜんぜんちがいます。
本阿弥光悦が俵屋宗達ら絵師、職人をディレクションしてつくりあげた様式がのちに琳派と呼ばれたわけですが、組織があったわけでもなく、当主や家元がいるわけでもありません。
本阿弥光悦・俵屋宗達に強烈に影響を受けた尾形光琳、尾形光琳に影響をうけた酒井抱一などを「琳派」と呼びますが、宗達と光琳、光琳と抱一はそれぞれおよそ100年ずつ活動時期がずれていて、とうぜんたがいに面識もなく、師弟関係もありません。

つまり、「琳派」は派閥や組織ではなく、純粋に様式を指しているということです。
では琳派はどういう様式なのかというと、漢画の技法を基礎におきつつも、大和絵の要素もふんだんにとりこんで、独自の華やかでデザイン感覚に富んだ世界を生み出したということになります。

琳派の創始者は本阿弥光悦ですが、光悦は京都の有力な町衆(富裕な町人)でした。

俵屋宗達も扇や団扇に絵付けする工房を営んでいました。
狩野派が武家の好みに応じて作品をつくったのにたいして、光悦はじぶんの好みで作品をつくりました。

狩野派は武家文化ですが、琳派はいわば町人文化です(町人といってもきわめて裕福な町人ですが)。

琳派は、漢画の技法をその基礎におきつつも、大和絵の技法や題材もふんだんにとりこんで、独自のデザイン性に富んだ様式を作りあげました。
俵屋宗達は『蓮池水禽図』(京博蔵、国宝)のような純然たる水墨画(=漢画)を描くいっぽうで、『源氏物語関屋及び澪標図』(静嘉堂文庫蔵、国宝)のように平安文学を題材にした大和絵的な作品も残しています。

(文:YahooJapan知恵袋より:http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1386289523)

 

和の心 20141108 蓮池水禽図ー京都国立博物館

蓮池水禽図・俵屋宗達(京都国立博物館)



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