きものという型

 

 

この時期、とってもきものを着たくなる私。

そんなきものの素敵なおはなしを見つけたのでご紹介。

 

「きものという型を、自分のものにするために」  馬場あき子さん

 

和の心 20141113 上村松園 砧4

 

きものには長い歴史がありますが、その中で「花の命を写し取って着る」という気持ちが培われてきました。

近代まで、一本の立木の枝葉が栄えて、生命の木のようなデザインのきものがありました。

お能にも植物がシテ(主役)の曲がありますが、植物が命を得て人間として出てくる草木シテは、日本独特のものだと思います。

そういう生命観がきものの中に収斂(しゅうれん)されています。

そして着る人も花なんですね。

 

染めるのも草木でした。

絹の草木染めはとてもいい色になりますから、平安時代の五つ絹なんてすごくきれいだったと思う。

桃や桜、紅梅を着ている感じです。

花の模様ではなく、花の色を着ているんですね。

貴族の衣裳は何べんも染めてつやつやしていたし、砧(きぬた)で打ってハリのある美しい絹だったでしょう。

庶民は、せいぜい源融(みなもとのとおる)の歌に出てくる「しのぶもぢずり」、つまり石に模様を彫ってその上に布を置いて摺ったものや、つるばみで染めた黒の無地でした。

万葉集には「つるばみ染めの普段着のように、慣れた女房はいい」という歌がありますよ。

 

きものを着ると、自ずから立ち居振る舞いが優美になります。

それは袂があり、袖に動きがあるから。

日本人の肩は、きものを着るとやさしく見えるし、帯は胴長を隠します。

洋服は自分の体に合ったデザインを考えてつくるけど、きものは定型で、それを自分のものにするわけですね。

お茶もお花もお能も型は決まっている。

型をどう固有にするかが日本の芸術です。

 

きものを着るときには、たえず風を意識してほしい。

袖の扱いで「風のやさしさ」を演出できるんです。

洋服ではできないですよ。

それに日本人がどんな素晴らしい洋服を着ていても、外国人の多いパーティーでは見る影もないわけ。

でも、きものを着ていけば目立つ。

そこが民族衣装としてのすごさだと思います。 (和楽:201011月号)

(絵:上村松園「砧」:山種美術館蔵)

 

「型をどう固有にするかが日本の芸術です。」

そうですよね、日本には、すべてに型があると言ってもいいかもしれません。

でも、その型でみな同じにしようとしているではありません。

どう自分流にするかが一番素敵なことだと私は思っています。