和の心 20141214 討ち入り

その時、将軍綱吉の決断は!

 

今日(14日の深夜ですね)は赤穂浪士の討ち入り。

将軍綱吉の決断は!

元禄15(1720)年の12月14日深夜、大石内蔵助以下46人の赤穂浪士が吉良邸に突入、吉良上野介を打ち取って主君・浅野内匠頭の仇を討ったお話はみなさんよく知ってますね。

男たちの忠義の物語「忠臣蔵」は、歌舞伎、講談、時代劇の題材となり、時を超えて語り継がれています。

一方、「生類憐みの令」で知られる時の将軍・徳川綱吉はこの事件をどう見ていたのか。

暗君との評価も多いが、実は好学家で「忠義」「忠孝」を重んじた綱吉です。
「赤穂事件」では一世一代の選択を迫られました。

主君の仇打ちを果たした赤穂浪士の行為は忠義の鑑。
しかし、徒党を組んで狼藉を働くのは天下の公法に反する。
赤穂浪士は「義士」か否か。

幕府内部でも、助命論、厳罰論、侃々諤々の議論が巻き起こります。

最終裁決者の将軍綱吉は50日間、悩みに悩み「切腹」という決断を下します。

この選択こそが、奇しくも主君の仇討ちで武士の本懐を遂げる物語=「忠臣蔵」を生む素地となりました。

(写真:赤穂浪士討ち入り(明治31年の「大日本史略図絵」)