和の心 20141216 蛇信仰

注連縄の原点は『蛇』  

 

 

神社の拝殿や神木などに掲げられている『注連縄(しめなわ)』。

標縄、七五三縄、〆縄とも書かれ、また年縄とも呼ばれます。

これは神聖・清浄な場所を区画するために張られています。


その起源は古事記に『天照大神が須佐之男命の乱暴を畏れ天石屋戸に隠れた時、この天石屋戸のまえで天宇受売命らの神々が賑やかな宴を催しました。

これを怪しんだ天照大神が覗いたところ、傍に隠れていた天手力男神がその手をとり天石屋戸から引き出だしました。

そして布刀玉命が「尻久米縄(しりくめなわ)をその後ろへ張り渡し「ここより内に戻れませぬぞ」と告げた、と書かれています。

この『尻久米縄(しりくめなわ)』に由来すると云われています。

また、学習院女子短期大学講師 吉野裕子氏によると注連縄の形は『蛇の交尾』を擬したものだと云われています。

氏は著書『蛇 日本の蛇信仰』(講談社学術文庫)で、蛇の形体・生態から各地の信仰・風習を説き、蛇信仰が如何に日本人のなかに浸透しているかを述べています。

以下にその一部を紹介します。

日本の蛇信仰は縄文時代の昔より引き継がれており、縄文人が蛇に寄せた思いの源は

 ・蛇の形が男根を思わせること

 ・蝮などの強烈な生命力と、その毒で敵を一撃のもとに倒す強さ

 ・脱皮により生まれ清まる再生力

 

性に対する憧れ、崇拝、畏怖、歓喜、それらが凝集して神与のものと考えられ、その象徴が『蛇』として捉えられていました。

縄文土偶の女神の頭に蝮を戴き、有頭(亀頭)石棒を崇拝はその象徴です。

蛇がトグトを巻いた形姿から円錐形の姿をした山が信仰へ結びつきます。

常陸風土記・ヌカヒメ伝承、箸墓伝承など、蛇神と交わる各地の伝承。

蛇の古語『カカ』から類推し、鏡(蛇の丸い目)、カカシ(田を守る)等は蛇を見立てたもの。

正月の『鏡餅』は蛇がトグロを巻いた形であり、関西に多い丸餅は蛇の卵の造型。


等々、日本の蛇信仰について興味深い研究が数多く載せられていますが、その中で『注連縄』について次のように述べています。

「シメクメ縄」が今の注連縄の原義とされています。

志摩地方では、昔、トンボの交尾を「シリクミ」といったというが、これはシメクメ縄のシリクメと同じ語であろう。

それならば、シメクメ縄、つまりシメ縄はまさに蛇の交尾を象る(かたちどる)縄で、それ故に、もっとも神聖視されたのである。
(文:注連縄の原点は「蛇」:http://www.ne.jp/asahi/anesaki/ichihara/kyuukei/simenawa/simenawa.ht)


注連縄は蛇を現わしているのか?

そういわれれば、蛇が絡み合っているように見えますね。

日本の神話の中に活躍する蛇は、三輪山の神蛇とともに須佐之男命に退治された八俣大蛇(ヤマタノオロチ)、海神の娘豊玉姫などがあります。

八俣大蛇の場合、大蛇の尾から出現した剣は正真正銘の蛇の精と言われ、暑気に天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ)と記され、鏡と並んで皇位象徴の神器になっている事実は、日本古代人において蛇信仰の根強さを証するものではないでしょうか。

鏡も蛇の目にはまぶたが無いため、まばたきのない目は「光る」ものとして受けとられて畏怖されてきたこと、蛇の古語「カカ」から「蛇(カカ)の目(メ)」-「カカメ」が「カガメ」に転化して丸くて光る鏡になり、三種の神器の筆頭になったのではないかと考えられています。

蛇と言えばほとんどの人が嫌悪感と畏怖心、ある種の畏敬の念などを持たれていますが、日本民族が縄文時代から蛇を信仰していたことは事実のようですね。

 

少し前までは農家では誰でもが縄を綯(な)う事ができました。

注連縄も各家で作り、これを副業としている家々もありましが、今ではで注連縄は買うものとなってしまいました。

この注連縄つくりのために育てた稲を穂が出ないうちに刈り取り、帆脱色しないように陰干し、青々とした稲藁をつくります。

これを注連縄に綯っていくのでありますが、拝殿用の大注連縄となると技と体力が要求されます。

でも、自分で作った注連縄は心がこもっていて氏神さまもとても喜ばれると思いますよ。

いかがですか、注連縄を自分で作ってみては!