和の素敵 20150112マークエステル画集s

和のこころ  神話を持つということ

 

 

日本人は、イザナギノミコトという男の神と、イザナミノミコトという女の神が協力してこの国土をお産みになったという神話を持つ。

 

「古事記」にあり「日本書紀」にもある。

 

このような神話をもつことそのものにも、国土を神がお産みになったものとして大切にする心情が潜んでいる。

 

こういう神話を誕生せしめた日本人の心情をじっくり考えてみる必要があるのではなかろうか。

 

われわれは、食事をする時「いただきます」と言う。

作法は仏式で合掌しているが、これは後世、つけ加わったものであって、このときの言葉は仏語ではない。

 

食べ物を「神の恵み」と考え、神の恵みを「いただく」という。

 

宗教において大切なのは教義であるとし、神道は教義がないとされるが、宗教において大切なのは生活綱領である。

 

キリスト教の生活綱領、回教の生活綱領、それぞれ、宗教には優れた生活綱領がある。

 

神道は、この海の幸、山の幸、野の幸がよく収穫される国土を神がお産みになったと感謝し、また、食事することを「神の恵み」をいただくと受けとめて生活するという生活綱領なのである。

 

人からの親切も「有ること難し」といい「神の恵み」とみるのが「有り難う」である。

 

初詣をすますと、家族で「おめでとう」を言う。

「とう」は「たく」の音便であり、「めで」は「めづ」である。

「めづ」とは「ほめる」ことであり、年頭にあたり来年一月一日までの一年間を、ことほぐ、つまり言葉で未来を祝福することにより、言葉にたましいがこもり幸せが実現するという信仰である。

したがって、時には幸せの模擬行為としての「お年玉」がふるまわれる。

 

この一年、あなたにとってよい一年でありますようにという意味であって、結果に対し、コングラチュレーションではない。

「ことほぐ」つまり言葉で未来を祝福している段階では、結果がまだ出ていないのであって、年頭に「おめでとう」と言うことによって、よい結果が得られると信じる信仰である。

 

そこで、その逆、悪しき言葉を発すると、悪い結果になると信じる。

結婚式で祝辞を述べる来賓は「切れる」と言えず、司会者は「閉会」と言えないのである。

それを言うと新しい夫婦の縁が切れ、未来が閉ざされると信じる。

 

吉(よ)き言葉の逆の悪しき言葉により悪しき結果のなると信じる信仰である。

そのために生まれた言葉が「お開き」である。

これは神道の結婚式のしきたりであるが、日本人は、キリスト教で結婚式をあげても、そのしきたりを守っている。

 

給食の時、手を合わせて「いただきます」というのは、特定の宗教を支援するとし、禁止する教育者があると聞くが、神道における「神の恵みをいただく」という心情に、仏式作法が加わって合掌するものである。

日本文化の複合体であって、特定の宗教を支援するものではない。

このような「ありがとう」「おめでとう」「いただきます」というような、日々、発する生活的な言葉の根っこにあるのが、神道である。

「神の恵み」をいただくという生活綱領が、日本人の根っこにあるのである。

(文:神道 日本人のこころのいとなみ:白山芳太郎)

 

昨日、白山先生の講義を拝聴してきました。

このようなお話をしてくれる方がほとんどいらっしゃらないですね。

白山先生のお話は、とっても学びが多く考えさせていただきます。

本当に知らないことばかりです。

日本人としての誇り、自信、そして驚きなどばかり。

 

「神の恵み」をいただくという生活綱領が、日本人の根っこにあるのである。

ありがとうございます。