和の心 20150203 鬼2

今日は節分 節分といえば「鬼」 それでは「鬼」って?

 

 

今日は節分

「節分」は「せち分かれ」とも言い、本来季節の変わり目、すなわち立春・立夏・立秋・立冬の前日を指す言葉です。

特に現在は立春の前日(2月3日)を「節分」と言い、豆をまいて悪疫退散や招福の行事が行われます。

 

さて、節分といえば主役は「鬼」

桃太郎や一寸法師、そして酒呑童子(しゅてんどうじ)など、とっても怖い鬼なのですが、なぜか憎めないことないですか。

一体鬼とは何なんでしょうね。

って、今日も検索してみたら、またまた学びがいっぱい。

それでは一緒に学びましょう。

 

「渡る世間に鬼はない」という諺がありますが、日本は鬼だらけの国ですね。

「仕事の鬼」やら「将棋の鬼」、「野球の鬼」、「鬼嫁」に「鬼婆」などなど、まさしく「渡る世間は鬼ばかり」でありました。

「鬼の目にも涙」、「鬼に金棒」、「心を鬼にする」などの言い回しが広く使われることでも分かるように、鬼は身近に存在していたのですね。

日本の昔話のうち鬼のでないものはほとんどないのではないかと思うくらい、昔話に鬼はつきものです。

さらに『今昔物語』などの説話集にも鬼は登場します。

日本人は昔から鬼と隣り合わせに暮らしてきたのですね。

 

昔話では、大きな図体を持ち、頭に角のある力の強い赤鬼やら青鬼が描かれています。

鬼の持つ力とはいかなるものでしょうか。

昔話のなかの鬼はよく「人を喰う」し「人に化ける」。

仏教において、地獄にいる羅刹鬼(らせつき)が人間を喰うことから導かれているのかもしれないです。

とにか鬼は凶悪で有害な恐るべき存在であったわけです。

でも、鬼はどこで手に入れたのか宝物をいっぱい持っています。

魔法の道具もたくさん持っています。

遠くへ移動することができる「千里のくつ」、身長を伸ばせる「打ち出の小槌」に生死を思うままに操る「生き棒・死に棒」、姿を隠せる「かくれ蓑」、どこまでも遠くを見渡せる「千里眼」等々。

まるでドラえもんのようですね。

しかし、どういう訳か鬼はいつもこれらの宝物を人間に奪われてしまうのです。

反対に人間の方はそのおかげで幸せになってしまいます。

 

大男で力も強く人間に恐れられているはずの鬼ですが、結構弱点も多いです。

お天道様にすこぶる弱く朝が来ると逃げ出すし、なぜだか「菖蒲」に弱かったりします。

第一は「頭が弱い」のですね。

いつもは「人間の知恵」に負かされてしまいます。

結局のところ鬼は痛みも感じれば、恐怖心も抱く、マヌケでおおらかな弱点だらけの、人間とさほど変わりない存在なんですね。

 

鬼は昔話の中では、いつも脇役です。

鬼の力、宝、恐ろしさは、鬼を退治する人間の人間の知恵を賞賛するための道具にすりかえられてしまっています。

鬼が巨大で荒々しく、強く凶悪であればあるほど、鬼を退治した主人公たちの武勇がたたえられ、それゆえ鬼は脇役として簡単に人間に負けたり、だまされたりします。

鬼が人間に簡単に負け、だまされ、さほどの理由もなく退治されてしまうところに、その姿、形とはまるで正反対の、気が良く、単純で、おおらかで間のぬけた鬼の真実の姿が見えませんか。

それは、博打を打ちながら、酒を飲み、踊りの好きな鬼の姿も多いことからも言えるのではないでしょうか。

狂言」や『お伽草子』に描かれる鬼は、どこかにくめません。

鬼が人間の生活と同じ営みをする、これもまた、昔話の中で鬼の存在が語りつがれてきた原動力なのかもしれませんね。

(文:鬼とは何か:http://www63.tok2.com/home2/ahonokouji/sub1-40.html)

 

鬼って怖いはずなのに・・・可愛かったりして・・・

 

今日の豆まき、可愛い鬼に「鬼は外」って言えなくて「鬼も内」って言うのもありかもしれませんね。

是非とも上記のアドレスからこの続きを読んでみてください。

きっと「鬼って私たちとおんなじだ」って思うかもしれませんよ。

 

写真は

男鹿市真山神社

「なまはげ」行事(神事)と「豆まき」は少し意味が違うが
面白いことがあるかも…と思いつつ
(桃太郎の鬼ヶ島の悪いことする鬼とは違う
男鹿半島の鬼は神の使いで戒めに歩く鬼)

 

今宵は鬼さんといっしょに恵方巻きをいただこうっと。

みなさまも鬼さんも、いっぱいいいことがありますように!