和の心 20150205 三行半

三行半(みくだりはん) どうして三行半というの?

 

先日、和えの会で和紙のお話を伺ってきました。

講師は大阪国際大学の村田先生。

当たりまえですが、とっても博識・知識豊富、お話がとっても面白かったです。

その時のお話の中で「三行半」のお話を伺いました。

お話の趣旨は、今でも昔の和紙がちゃんと残っている。

その実例のひとつとして「三行半」の説明がありました。

和紙は本当に素晴らしい!という話です、が、「へー!」って聞いてしまったのでみなさまにも。

 

 

「三行半」について

江戸時代、妻の側から離縁(離婚)するには、縁切寺に駆け込み、その理由を吟味してもらい夫に離縁状を出すように請求するとか、妻の衣類を夫が同意なしに質入れしたら妻の父が離婚させるという具合でした。

妻が直接的に離縁を申し出るということが原則として出来ず、夫の離縁状、通称「三行半(みくだりはん)」によって離婚が成立、とされていました。

三行半というのは、文字通り離縁状が3行半で書かれる事が多かったからついた呼び方です。

その内容は場合によって違いますが、一般的には離縁する旨、離縁の理由、再婚の許可を簡潔に書いたものでした。

もちろん、延々と何十行にもわたる離縁状が無かったというわけではないですが、3行半で書く理由ははっきりしていません。

江戸時代の契約書や、結婚する時に妻の実家に出す「娘をもらいうける旨」の文章が7行だったため、離婚時にはそれが半分に分かれるという意味で3行半にした、などと言われています。

 

1行目は、離婚します! という宣言。

2行目は、どうして別れるのか。

残りの3行目と半分で、別れたら何をしようと口出ししません再婚してもオッケーです、と許可を出していたのですね。



なにげ、お江戸は女性上位の世界でした。

オンナの数が、少なかったからですね。

初期の江戸は庶民の全人口の2/3~3/4が男。

それに単身赴任の地方大名の家来衆(とーぜんほとんど男)が加わって、江戸はものすごい男性社会でした。

おまけに荒っぽい新興都市ですから、人の気が強く、もちろん女性たちもはっきりものを言い、文句言われれば言い返す、たくましい人たちだったわけです。

ともあれ、離婚したら再婚する可能性はほぼゼロに近かったそうです。

ですから、男にとって、女房に逃げられるというのは、大変な恥でした。

逆に結婚していた女性は、経験豊富ということで、再婚の口に困ることはほとんどありませんでした。

当時は字が書けない人もいたがその場合は3本の線とその半分の長さの線を1本書くことにより、離縁状の文言を書いた取扱がされていたとも言います。

 

 

「娘をもらいうける旨」の文章が7行だったため、離婚時にはそれが半分に分かれるという意味で3行半にしたなんてのは洒落のようで、こんなことにも遊び心が満載なようで思わずほくそ笑んでしまいました。

 

和の心 20150205 和紙

 

これは大福帳。

商人には何よりも大切な帳面。

火事になったとき大福帳をどうするかご存知ですか。

井戸の中に放り込むそうです。

濡れてもまたちゃんと使えるってことですね。

やっぱり和紙は素敵だ!