和の心 20150213 文金高島田

文金高島田 文金とは?高島田とは?

 

 

文金高島田の『文金』とは、八代将軍徳川吉宗の時代に貨幣改鋳があり、その時の小判を文金と呼びました。

男性の結髪様式の1つで髪を高く結うことを「文金風」と呼び、その髷の高さから優雅とされ、次第に女髷にも取り入れられるようになり、文金高島田に発展したとされます。

針や楊枝などを髷に入れて高くしたため、針うちとも呼ばれていました。

また、嫁ぐ娘のために母親が髪の中に小判を一枚忍ばせ、そのために高く結い上げられたことが文金と呼ばれる髪型の由来とも言われています。

 

高島田(たかしまだ)とは根元を高く仕立てた島田髷の一種です。

島田髷の由来は諸説ありまう。

1.江戸初期の寛永の頃、京都四条の女歌舞伎役者が始めた説。

2.歌舞伎の寛永年間(1624年-1643年)の女形の島田万吉・花吉・甚吉の髪型からという説。

3.東海道五十三次の島田宿(現在の静岡県島田市にあった宿場)の遊女から始まった説。

 などがあります。

 

高島田は髷の根に巻く丈長の幅の広さで分類し、最も根が高く上品な形が文金高島田です。

上流武家の女性が結った高島田は正式な儀式の場には必ずこれを結いました。

高島田よりもやや髷も小ぶりで少し身分の低い未婚の女性が結う中高島田は京阪では中流以下の女性にも広く結われました。

根元に丈長を巻かない芸妓島田は京都の芸妓が改まった場で結います。

 

高島田の派生として、娘島田、奴島田(町人の島田で根の高いもの)、つぶし島田、投げ島田、芸者島田、京風島田などもあります。

江戸時代には300種類もの髪型があり、文金高島田は元々は武家の若い女性や遊女の髪形でした。

次第に花嫁の髪型として用いられるようになり、明治以降には花嫁の正装として白無垢や打掛を着る際の定番の髪型として定着していきました。

(文:ウエディング用語辞典:http://goo.gl/j7efmY)