猿田彦神 八百万の神さまの中でも独特な味を持った神さま

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先日、伊勢の猿田彦神社へ参拝にいきました。

 

猿田彦神、一番最初に知ることになったのは手塚治氏の「火の鳥」に出てくる猿田彦。

小学生の時でしょうか、それ以来その容姿を忘れることがないです。

いったいどのような神さまでしょうか。

 

和の心 20150216 猿田彦神社3

(伊勢・猿田彦神社)

 

猿田彦神は、多くの神々のなかでも最高にユニークな部類に入る神さまです。

何がユニークかといえば、まずその容貌についての印象が実にはっきりしていて、しかも非常に特異であるということ。

日本神話に登場する神々で、この神ほど詳しく顔つきが説明されている例はほかにないのでは。

神話には、次のように記されています。

「鼻の長さ七咫(ナナアタ=約1.2m)もあり、背の丈は七尺(約2.1m)あまりで身長は七尋(ナナヒロ=約12.6m)近く。しかも、口と尻は明るく光っていて、目は八咫鏡のように円く大きくて真っ赤な酸漿(ホオズキ)のように照り輝いている」

いうまでもなくこのイメージは猿の化け物といった異形であり、こういう独特な味を持った神さまは、八百万の神のなかでも数少ないですね。

 

和の心 20150216 猿田彦神社2

そうした異形の猿田彦神が活躍するのは、天孫降臨の場面です。

邇邇芸命が天降りしようとしたとき、天の八衢(やちまた)に立って高天原から葦原中国までを照らす神がいらっしゃいました。

そこで天照大神と高木神は天宇受売命(あめのうずめ)に、その神の元へ行って誰であるか尋ねるよう命じられました。

その神が国津神の猿田彦で、邇邇芸命らの先導をしようと迎えに来たのでありました。

 

和の心 20150216 猿田彦神社1

(絵馬に描かれるのは「みちびきの舞」で、明治天皇の皇女・北白川房子様御参拝の時にお歌に作曲、振付をした猿田彦神社独自の舞いです。 願いを良い方向に導く想いが込められています。)

 

邇邇芸命らが無事に葦原中国に着くと、邇邇芸命は天宇受売神に、 その名を明らかにしたのだから、猿田彦を送り届けて、 その名前をつけて仕えるようにと言われました(日本書紀では、 猿田彦が天鈿女命(あめのうずめ)に自分を送り届けるように頼んだとなっています)。

そこで天宇受売神は「猿女君」と呼ばれるようになったといいます。

お役目を終えた猿田彦は故郷である伊勢国の五十鈴川の川上へ帰られました。

このときに彼を送ってきたのが天宇受売神で、彼らはのちに結婚して伊勢国の五十鈴川のほとりに住んだとされています。

この天宇受売神との結びつきが、本来導きの神である猿田彦神の性格に複雑な要素を加えているようです。

というのは、天宇受売神は邇邇芸命に命じられ、猿田彦神の名を取って猿女君(サルメノキミ)を名乗る(猿女氏の遠祖)のです。

猿女とは”戯る女(サルメ)”とも解され、神事芸能に関する役割を意味するという説もあります。

これに従えば、猿田彦神は芸能ごとにも深く関係していることになりますね。

導きの神としての性格を持つ以前の猿田彦神は伊勢地方と密接に関係する神霊で、もともとの姿については、原始的な太陽神として伊勢の海人が信仰した神だったのではないかという説が有力です。

猿田彦神の基本的なイメージである猿といえば、日吉大神の使いということでも知られるし、「日本書紀」には伊勢神宮の遣わしめとされています。

日吉神の本源は山の神であり、民俗信仰の山の神は、春に里に降り田の神として豊穣をもたらします。

一方で、伊勢神宮は太陽神の天照大神を祀っているように、猿はまた日の神の使いとしても知られています。

山の神にしろ日の神にしろ、稲作農耕と密接な関係を持ちます、ということは、猿田彦神も農耕神的な性格を備えているといえるわけですね。

和の心 20150216 猿田彦神社4

(佐瑠女神社・祭神 天宇受売命(あめのうずめのみこと))

 

また、倭姫命世記(神道五部書の一)によれば、倭姫命が天照大神を祀るのに相応しい地を求めて諸国を巡っていたとき、 猿田彦の子孫である大田命(おおたのみこと)が倭姫命を先導して五十鈴川の川上一帯を献上したとされています。

大田命の子孫は宇治土公(うじのつちぎみ)と称し、代々伊勢神宮の玉串大内人に任じられました。

 

猿田彦神さま、どうぞ、いつまでもお守りください。

 

 



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