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大切な心 和の心

自然を大切にするこころ

こんにちは。
日本が律令国家となったのは、600年代。
この頃に、日本はようやく天皇が人民と土地を納めるという、中央集権国家となってきます。
律令国家となった日本では、天皇が各地域の名前を改めました。
たとえば、長野県の旧名である「信濃」。
信濃は、もともと「段野(しなの)」と書かれていました。
山あいの狭い土地を耕し、段々畑しかつくれなかったことから、「段野」と記されていたのです。
これに対して天皇は、「信じることに、濃やかな人が住む土地」という意味をこめて、この地域を「信濃」と名ずけたのです。

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本来の「和の心」

三重県の「志摩」地方も、入江がたくさんある地域いうことで、もともとは「島」と書きあらわせれていた地域でした。
これを、そのような即物的な名前はやめましょう、ということで、「志」を「摩く」という意味のある「志摩」と改名させました。
この場合ももちろん、「志高く、自らを摩く人々が住む土地」という意味をこめたことは言うまでもありません。
ゆたかな自然と、そこに住むこころゆたかな人々。
そして、自然と人々との素晴らしい共存関係。
これこそが、当時の人々のこれからの国づくりの財産であり、目標でした。
別言すれば、これからはこういう国であってほしいという願いを、地名を改める際に込めたということであり、そうした生活が何よりも貴重だと考える自覚意志が、このときすでにできあがっていたということになります。
このようなことが、600年代にすでにおこなわれていたのです。
ところが現代では、日本中どこ行っても、若葉台や緑ヶ丘があります。
今の日本は、そんな味気ない国になってしまいました。
そうではなく、自然と共に生きる感覚、そうした感覚こそが、本当の「和のこころ」のはずです。
そう考えると、自然を破壊し、自然を顧みなくなっている現代の私たちは、もはや和人とは言えなくなっている。
昨今注目されている「和のくらし」や「和の味わい」といったものは、本来の「和のこころ」からは、かなり隔たっています。
むしろ、欧米人の視点からの日本再発見といった印象があり、ここが心配でもあるのです。
(文:禅のこころ 和のこころ・篠田暢之)

 

大きな母の思い

日本人にとって「ふるさと」ってどんなところでしょうか。
私たちの記憶の奥にある「ふるさと」ってどんなところ。
私もそうですが、実際にふるさとを持たない人も「ふるさと」のイメージは持ってませんか。
「うさぎ追いし・・・」なんて聞こえてくるとね、私たちは時間をさかのぼっているのでしょうね。
山や野、川や海があって駆けずり回っている。
仲間たちと時間を忘れて楽しく遊んでます。
でも、夕焼けお空になる頃には、なぜか寂しくなってしまうのですよね。
どうして?
きっと「母」を慕い思っているから。
母のイザナギを慕って泣くスサノオも同じ思いだったのでしょうね。
この「ふるさと」を思う心が日本人の心かも。
「ふるさと」はお母さん。
お母さんのやさしい優しい思いで育ち、大きくなり、やがて母の手から離れて一人で静かに立つことができるときに「和のこころ」の私に育つのかも。
あるがままの世界を受け容れるやさしい優しい、やわらかな心です。

 

 

ありがとうございます

「敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花」
「しきしまの やまとごころを ひととはば あさひににおう やまざくらばな」
本居宣長の有名な詠歌ですね。
江戸時代、幕府が推奨していたのが中国の古典を学ぶ儒学でした。
そのような風潮の中、「いやいや日本古来の良さがある!」と日本の良さを広めた一人が本居宣長です。
その本居宣長が「日本人とは」と詠んだ詩です。

朝の日に光に照らされる山桜の花。
その山桜の姿を見て「ああ美しいな!」と感じられる心が日本人の心、和の心。
目の前の景色を「美しい」と感じられる、その心が大切。
この心が「和の心」なのでしょうね。
多くの人と目の前の美しい景色を楽しみたいです。

今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

 

この星が笑顔あふれる毎日となりますように。
Hope there will be a smile everywhere, every day.
これからの子供たちに幸せな世の中となりますように
Wish the world will be full of happiness with children.

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