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今一度知りたい、日本人とお茶の歴史04

『大和は室尾の茶園を求めて』

奈良県宇陀市、摩尼山佛隆寺。
弘法大師空海が中国より茶の種を持ち帰り、植えたところとされる古刹。
北方には室生寺があり、室生寺の南門として位置付けられた寺院と言われている。

中世に遺された『異制庭訓往来』には、栂尾、宇治、葉室、醍醐、御室等の京の茶処が並べらているが、他の地方の茶処として”室尾”が紹介されている。
”室尾(むろお)”とは、室生(むろう)、あるいは室生寺のことだろう。
この佛隆寺からは少し距離があり、”宇陀”とは紹介されていないが、”室尾”と佛隆寺の関係が興味を引く。

宇陀は、古代から薬の産地として広く認められていたようだ。
ロート製薬やツムラの各創業者は、宇陀の出身だという。
さらに、五條天神社(京都市下京区)に祀られるスクナヒコナは、薬祖や医道の祖として崇められている。
実は、この五條天神社の創始縁起が宇陀と関係しているのだ。

平安京造営の折、桓武天皇は空海に宇陀からスクナヒコナを勧請し、現在の京都市下京区に祀れと命じた。
スクナヒコナの勧請元、つまり出身地は宇陀とされるのみで、詳細な寺社は明らかではないが、いずれにせよ薬の聖地である宇陀から勧請されたことには変わりはない。
今でも、スクナヒコナを祀る神社が点在している。

宇陀は、医道の祖神が鎮座する地であり、空海はその山中を、中国から持ち帰った茶の種を蒔く地として選んだ。
茶は、本来薬草として扱われていたが、茶と薬と医道の祖神の関係がよく表れたのが、宇陀ということだ。
その宇陀に建立された佛隆寺と、『異制庭訓往来』に記された”室尾”は、決して無関係ではないのだろう。
かつては宇陀や室生にかけた広大な茶畑があり、あるいは茶畑が数多く造園され、世に認められるほどの良質な茶が採れていたのだろう。
宇陀への眼差しが、神仏への信仰にも根差した「茶の聖地」という憧れに変わる。
(続く)

 

 

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