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女子大生8人の6日間④  今日は河村能舞台で能のお話し

 

今日は河村能舞台で能のお話し

女子大生8人の6日間 他では体験できない特別文化研修

河村能舞台

 

3日日の午前中は、御所の西にあります、河村能舞台の河村純子さんから「能」についてお伺いしました。

 

河村能舞台は、純子さんの父の代に自分たちの舞台として、昭和32年につくられました。

河村能舞台のある烏丸通上立売(かみだちうり)という場所は、室町幕府の3代将軍足利義満が造った「花の御所」の北の端にあたるといわれています。

義満は世阿弥の支援者でしたので、この辺りを世阿弥が散策していたなんてことも想像できます。

 

純子さんは、「能楽おもしろ講座」の名で、修学旅行生を中心に能楽にまつわるお話、謡(うたい)、面(おもて)や和楽器の説明などを檜舞台にあっがていただいたり、年間160回ほどされていらっしゃいます。

そんなお忙しい中、純子さんに、女子大生8人が能のお話をゆっくり伺いました。

 

 

能舞台とは

 

能舞台は、今は建物の中にあるが、長い間外に建っていたものでした。

いつから中に建てられるようになったのか?

それは、江戸時代からです。

TVドラマなどで、将軍や大名たちが能舞台の前に座って、能を見ているシーンなどがありますが、それは間違いです。

なぜかというと、外にあった能舞台の前は地べたで、そんな所に座ることはないのですね。

別棟の建物の中に座って、そこから外に建っていた能舞台見ていました。

外に建っていた能舞台が、明治時代になって中に入ってきたので、現在も屋根や柱が残っています。

 

 

能舞台には、なぜ松の木が描かれているのか

 

能舞台では、必ず松の木の絵が描かれていますが、これは全国どこにいっても、松の木なんです。

では、なぜ、松の木なのか?

それは、松はほかの木と違って葉の形が違うでしょ。

そして、常緑樹で1年中枯れない。

それを昔の人は、「もしかしてこの木は特別ではないのか?特別だから、きっと神様が来る目印だ」と思ったんですね。

松の木は、お正月に門松として使われます。

あれは、門に飾り「神様、うちの家はここなんです。ここに来てください」と表しているんですね。

 

では、なぜお正月でもないのに、年中能舞台には松の木が描かれているのか?

それは、日本人がお米をつくってごはんを食べているからなんですよ。

今の人は、何気なくご飯を毎日食べていると思いますが、ご先祖様たちに「毎日ご飯食べれていますか?」と質問すれはきっと「そんなこと無いよ。十分に食べれていないよ」と答がくるはずです。

そんな状況なので、昔の人は田植えの時に「神様、どうぞ宜しくお願いします。」と願い、収穫の時には「神様ありがとうございました。」と感謝を述べるのですね。

そんな「感謝や祈り」が芸能として始まったので、能舞台には松の木の絵が描かれているのです。

舞台の右側には、竹も描かれています。

 

松・竹・梅

 

 

竹は雪が降ってもなかなか折れない。

まっすぐ伸びるというので、「素直な芸」「力強い芸」という事を表しています。

さて、「松」「竹」とくれば、あとは何でしょう?

そう「梅」ですね。

でも、実は「梅」は描かれていないんです。

それはなぜか?

松と竹は花は咲かないが、梅は花を咲かせます。

わざわざ花を書かなくても「芸の花を咲かせる」ということで梅は描かれていないのです。

 

舞台の下には大きな甕があるのです

 

舞台を軽く「トンッ」と踏むと、とても大きな良い音が鳴ります。

どうしてだと思いますか?

それは、舞台の下に、小学生がすっぽり入れるほどの大きな甕(かめ)が10個ほどあるからです。

「トンッ」と踏むと、壺や甕の中で音が響いて、大きな音に変化するのです。

その壺や甕は、必ずしもまっすぐおいてあるのではなく、斜めにも置いてあり、いろんな方向へ音が反響するようになっています。

 

能から生まれた言葉

 

能は、だいたい650年から続いている芸能です。(室町時代に出来た)

そんな能から生まれた言葉があります。

例えば「とことん」という言葉。

足拍子を踏む「間」が難しく、とことんやらないと上手にならないことから、この言葉が生まれました。

あるいは「ノリが良いよね~、悪いよね」という言葉がありますが、650年前から使っていました。

能楽用語ではリズムの取り方を、ノリと言います。

だから、リズムがうまく取れれば「ノリがいい」となり、うまく取れなければ「ノリが悪い」となります。

 

能の大きな特徴は2つあります

 

1つ目は、「ドラマ」。

能で使われるドラマの主人公は「幽霊」が使われています。

世界中、幽霊がこんなにも使われている芸能は無いですね。

その幽霊は、どこから登場すると思いますか?

それは舞台の左側にある幕から出てくるのです。

つまり、あの幕の向こう側はあの世。

みんなは生きていて、この世の人なので、この世に想いを残して亡くなった人が向こうの世界からこっちにやってきます。

今生きている皆に自分(幽霊)が生きていた時の、すごく大変だったことや苦しかったこと、楽しかったことを喋りたくて聞いてほしくて、この能舞台で自分(幽霊)の過去の話をします。

みんなに聞いてもらったことで、気分がすっきりして、あの世に帰っていきます。

 

舞台左側の3本の松

 

 

その松は、幕に近い方が小さくなっており、遠近法が使われています。

つまり、あの世はとっても遠いので松は小さい。

この小さな能舞台の空間で、距離と時間を表しているのです。

 

世阿弥から650年続く能

 

幽霊が主人公に多いと言いましたが、それは、能が生まれた室町時代の時代背景が影響しています。

室町時代の一番のトピックは「応仁の乱」。

能は、応仁の乱よりも前の銀閣寺を作ったころに生まれました。

その頃は、近畿圏でお米や農作物がほとんど収穫できなかった時代でした。

台風や日照りなどの影響で、収穫も出来ず、食べることも出来ず、飢え死にする人が多かったのです。

その頃の京都の人口は、約10万人でした。

その人口の内、たった2か月で8万2千人が亡くなりました。

家の中に居ても、常に死体の臭いが漂っていました。

また、亡くなった人を埋めることも焼くことも出来ず、どうすることもできません。

だから死体を鴨川に流しました。

その間、鴨川は川の流れが止まったような状態でした。

10人中8.2人もの人が亡くなった状況だったから、能は亡くなった人の想いを聞きましょうという形になったのですね。

この亡くなった人の想いを聞きましょうという形式をつくったのは、世阿弥という人です。

このような形式があるからこそ、650年も能が続いているのですね。

想いを残して亡くなった人は、今も昔も世界中に居ます。

例えば、アメリカで銃乱射事件があり、高校生が亡くなりましたが、それを能で表現することも出来るのです。

能の凄いところは、時間的な空間も場所もやすやすと超えて表現する事が出来ます。

 

もう一つの大きい特徴は「能面」

 

 

↑ 千と千尋の神隠しで最後に出てきた川の神様に似ているこちらの能面は、「翁」といいます。↑

実は翁は、農業の神様。

これは、祈ることをする神様。

昔ならお米がとれますように、など祈りました。

みんなの代表として祈るため、自分に厳しくするために、この能面をつける人は、前の日から女性が作った料理や触った食べ物は一切食べることが許されておりません。

また、当日、楽屋は女性立ち入り禁止となります。

その他様々なルールはありますが、そういうことをやって沢山の人のために祈るという事をしてきました。

 

 

↑ この能面は、何歳に見るでしょうか? ↑

これは、全ての面の中で若くて可愛い系。

年齢15~16歳でよ。

多分、「どこが可愛いねん!」と思った方はいるかと思いますが、口角をみるとクッと上がているでしょ。

能面は、見せる角度によっても表情が変わります。

↓ 能面を少し下に向けることを曇らすと言いますが、それをすると心が曇ったような暗い顔に変化します。↓

 

 

舞台から落ちる人もいます

 

反対に上に向けると、笑っているようにも見えます。
さて、能面の目の開きは、何センチあるでしょうか。

1センチよりも少し小さいくらいで、能面をつけるとほぼ前が見えないのです。

そのため、視界の悪い能面をつけて舞台から落ちないように舞台には柱が存在します。

もし柱が存在しなかったら、ほとんどの人が落ちると言われているほどです。

ただ、柱が存在していても、人間なのでたまに舞台から落ちる人がおり、落ちて捻挫や骨折する人もいます。

そんな落ちてケガをしている人に対して、助けに来た人は最初に何と声をかけると思いますか?

「怪我はないですか?」ではなく。

それは、「能面大丈夫か?」です。

その人の事を心配するよりも能面に傷がついていないかを最初に確認します。

もし、骨が折れていたとしても、数か月もすれば完治し、また舞台に上がることが出来ますが、能面は古いものが多く、江戸時代から使われている能面が割れてしまったら、大変なこと、おしまいになります。

 

河村能舞台では、600年ほど前の能面を今も使っているから、とても大切にしています。

人間の寿命は100年ないけれど、道具は大切にすれば何百年も生き続けることが出来るという事ですね。

 

 

↑ この能面は、5~6歳の子供をもつ母親の能面。↑

今の30代ほど。

今見ると「お婆さんやん」と思うでしょ。

でも、昔の平均寿命は30代後半だったし、子供の生存率も低く、とても苦労が多かったからこのような顔をしていたのですね。

 

角は女性だけに生える

 

 

↑ この般若の面の性別は、分かりますか? ↑

これは女性の面。

日本は昔から、女性だけ角が生えると信じられていました。

だから、和式の婚礼で角隠しをつけますが、それはこの角を隠すためなんです。

この角は、嫉妬や妬みなどを表しています。

この般若の面、怒っているように見えますが、実は口元を隠して目だけを見ると泣いている表情となります。

涙でいっぱいになった目をしています。

しかも、左右が不対象に作られているんですよ。

ではなぜ、泣いているのか…?

それは、好きな人を誰かに取られて、つらくて苦しくてず~っと我慢していたのが、ある日怒りとなって爆発した瞬間の顔を表しています。

 

ありがとうございます。

 

とっても素敵な河村純子さん。

能にまつわるいろいろなお話を聞かせていただきました。

 

 

 

そして、能舞台に上がらせていただき、能の歩き方。

 

小鼓をたたかしていただいたり。

 

能衣装を着けさせていただいたり。

最後には能楽を鑑賞させていただきました。

 

女子大8人の子たちほとんどが、はじめての能舞台。

さて、何を感じてい頂けたでしょうか。

素敵な日本の文化が能の中にもたくさんありました。

 

近いうちに能をゆっくり鑑賞してみてください。

寝ちゃうかもしれませんが、「幽霊の悲しい話しだ」とか時空を超えた時がわかるかもしれません。

650年も続く秘密を少しわかるかもしれませんね。

 

 

日本の文化は素敵ですね!

今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

 

河村能舞台のみなさま、本当にありがとうございました。

 

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