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お彼岸です 昔々からご先祖さまをお迎えしてました

 

お盆

こんにちは。

7月の黎明塾で「先祖のまつり」と題してお盆のことなどお話がありました。

みなさまもご一緒に。

お盆は旧暦七月十五日を中心とするもともとは祖霊をお祀りする日本古来の神道の行事です。

お家のご先祖さまが精霊(しょうりょう)として帰ってくるのをお迎えし、手厚くもてなします。

ところが、仏教を布教するため、日本古来の七月の祖霊祭に仏教の盂蘭盆会(うらぼんえ)を結びつけたために、現在では仏事であるかのように思われています。

 

先祖のまつり

日(ひ)の本(もと)に生(あ)れ出(い)でにし益人(ますひと)は 神より出(い)でて神に入(い)るなり
(江戸時代の伊勢の神宮の神官 中西直方)

 

「祖先の神があってこそ生まれ出た自分、その自分もやがては祖先の神のもとへと帰っていくのだ。」という歌は、日本人の死についての昔からの考え方を明確に表現しています。

民俗学の柳田国男は、著書「先祖の話」のなかで、「日本人の死後の観念、即ち霊(れい)は永久に、この国土のうちに留まって、そう遠方へ行ってしまわないという信念が、恐らくは、世の始めから、少なくとも今日まで、かなり根強くまだ持ち続けられている」と述べています。

つまり、日本人にとって、「死ぬ」ということは、仏教で説いているように、十万億土のかなたに消え去っていくということではないのです。

死後、人はやがて祖霊となり、さらに祖先神へと昴(たかま)っていき、この世の子孫の生活を見守っていて下さると考えてきました。

ここで、日本人の「死」についての観念をもう少し詳しく考えてみましょう。

 

「神」と「ほとけ」

 

民俗学の世界では、亡くなってから間がない人や、不慮の事故、異常死を遂げた人は「ほとけ」と呼ばれて決して「かみ」とは呼ばれません。

しかし、死の穢れの清まる期間を経て、(三十三年、地方によっては五十年)弔い上げを済ませた「ほとけ」は「かみ」となるのです。

「ほとけ」は人の個性がまだ残っており、この世に未練がありますが、死者から個性が消え、祖霊として一括される神性を獲得すると無条件に子孫を包み込む神と昴っていくのです。

ここで重要なのは、人の御霊(みたま)は、歳月の経過によって、浄化されるとともに、家族をはじめ人々からの「まつり」を受けることによってさらに浄化と昇華をし、神格性を持つということです。

稲魂(いなだま)を育て、水を配り、子孫の生活を温かく見守る守護神・氏神となるのです。

 

 

お彼岸やお盆はもともと神道の行事

 

仏教が日本へ伝来したには六世紀半ば頃といわれていますが、この時に伝わってきた仏教は、インド発祥の本来の性格とは異なり、中国・朝鮮など経由してきた地域の影響を色濃く受けたものでした。

その後、我が国の神祇(じんぎ)信仰や祖先祭祀(さいし)の影響を受け、これを取り入れたために、仏教は日本の宗教の一つとして、広範に普及することができました。

「彼岸会(ひがんえ)」という言葉は、世界最古の小説ともいわれる「源氏物語」にも見られることから、かなり古くから行われてきた行事と思われますが、実は我が国での「祖先まつり」は、かなり以前から行われていました。

古事記・日本書紀にも皇祖の御霊をまつった例が見られ、現在でも宮中では、歴代天皇の霊をまつる行事(春季皇霊祭)・秋季皇霊祭が厳粛に行われています。

このよにお彼岸は、仏教渡来以前からの日本古来の祖霊信仰が深く根づいていいるのです。

「お彼岸」は、今日ではお墓参りをして祖先の供養をする日とされています。

ところが、こうした行事の意味を知らずに、休日であるからといって結婚式を挙げたり、行楽に出かけたりする方を最近多く見受けますが、このようなことは慎まなければなりません。

春・秋の中日は、お墓参りをしてご先祖さまをお慰めし、感謝をする大切な日であることを忘れてはなりません。

 

ありがとございます。

祖先を祀るということ、仏教が入る以前からずっと昔から行ってきたのですね。

自然は元よりあらゆることに感謝する日本人だからでしょう。

いつまでも祖先が私を見守ってくれている、本当にありがたいこと。

お墓参りは行かれましたか。

まだなら行きましょうね。

「ありがとうございます」って言いに。

 

今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

8月の黎明塾は26日(日)13時半から難波神社です、ご参加くださいね。

 

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