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日本清酒発祥の地と言われる正暦寺

10月1日は日本酒の日

こんにちは。
今日から10月、神無月。
収穫の10月、美味しいことがいっばい。
楽しみですね。
10月1日は日本酒の日って知ってましたか。
日本清酒発祥の地と言われる、奈良市菩提山の麓の正暦寺に行ってきました。
とっても趣のある素敵なお寺でした。

ありがとうを世界中に
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正暦寺で造られた僧坊酒

奈良市の東南山麓、菩提仙川に沿って、苔むした石垣ともみじの参道を昇りつめると菩提山正暦寺があります。
現在の清酒造りの原点は、ここ正暦寺で造られた僧坊酒に求めることができます。
この僧坊酒は「菩提泉」・「山樽」などと呼ばれ、時の将軍、足利義政をして天下の名酒、と折り紙をつけさせたと「蔭涼軒目録」に記されています。
時代はくだり、1582(天正10)年5月、織田信長は、安土城に徳川家康を招いて盛大な宴を設けました。
この時、奈良から献上された「山樽」は至極上酒であったらしく「多聞院日記」に「比類無シトテ、上一人ヨリ下方人称美」したとあります。
本来、寺院での酒造りは禁止されていましたが、神仏習合の形態をとる中で鎮守や天部の仏へ献上する御酒として自家製造されていました。
そのため、宗教教団として位置づけられながらも、荘園領主として君臨していた寺院では、諸国の荘園から納められる大量の米と、酒造りに必要な場所、人手、そして、清らかな渓水・湧き水などの好条件に恵まれ、利潤を目的とした酒造りをはじめるようになりました。

 

和の心 20151001 正暦寺3

 

南都緒白(なんともろはく)

中でも、正暦寺の僧坊酒は、醗酵菌(酒母・もと)を育成し、麹米・掛け米ともに精白米を使う諸白酒(もろはくしゅ)を創生したという点で、酒蔵史の上で高く評価されています。
清酒造りにおける酒母(もと)の役割とは、雑菌を無くし、もろみのアルコール醗酵をつかさどることにあります。
単に精液で培養した酵母菌を造るならば、乳酸菌・バクテリアなどの雑菌が殺されることなく、もろみが腐りやすくなります。
しかし、正暦寺で創製された酒母、即ち「菩提もと」は酸を含んだ糖液で培養するため、その酸によって雑菌が殺され、しかも、アルコールが防腐剤の役割を果たすという巧妙な手法がとられており、これは、日本酒造市場の一大技術革新でありました。
こうして、蒸し米と米麹と水から酒母(もと)を育成し(酒母仕込み)、酒母が熟成すると米麹・蒸し米・水を三回に分けて仕込む(掛け仕込み)、いわゆる三段仕込みの原形が出来上がりました。
この緒白酒は、後に火入れ殺菌法なども取り入れられ、仕込みも三段仕込みから四段・五段仕込みへと発展し、「南都緒白(なんともろはく)」の名で親しまれ、17世紀の伊丹緒白の台頭まで一世を風靡し、奈良酒の代名詞ともなりました。
(文:菩提山正暦寺より)

 

和の心 20151001 正暦寺4

 

ありがとうございます

10月は新米を収穫し、酒蔵が日本酒造りを始める季節。
昭和39年酒造年度まで、酒造年度は「10月1日から」と定められていて、蔵元では「酒造元旦」として祝っていました。
また、「酒」の漢字には「酉(とり)」が使われています。
「酉(とり)」にさんずいがついて「酒」となり、この「酉」は「酒つぼ」を表す象形文字からできています。
確かに酒を表す漢字(酌、酔、醪、醸など)には、この「酉」が使われています。
この「酉」は十二支のなかで10番目の干支。
10番目の干支だから、10月が日本酒の月になったともいいます。
どちらにしても、私の大好きな日本酒。 来年の7月1日の新酒が楽しみ。

今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
新米に新酒、日本には本当に楽しく美味しいことがいっぱい、「乾杯!」

 

この星が笑顔あふれる毎日となりますように。
Hope there will be a smile everywhere, every day.
これからの子供たちに幸せな世の中となりますように
Wish the world will be full of happiness with children.

#ありがとうを世界中に
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