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「法蓮房信空上人」 我がご先祖様のお話し

 

ご本尊の蘇り

こんにちは。

12日に浄住寺ご本尊が皆さまのおかげで蘇ってお戻りになり、数日たっても嬉しくてしょうがない私です。
そのご本尊の修復中に胎内経が4巻、そして「南無阿弥陀仏」の六字名号が書かれた半紙が一枚。
その半紙には「本山黒谷三十六葉 薫誉寂仙」と書かれていました。
黒谷金戒光明寺の三十六世寂仙法主でした。
黄檗宗のご本尊の中から浄土宗の法主の書が?

法然さんと信空さん

「黒谷さん」と親しまれている金戒光明寺は、その昔、比叡山の西塔黒谷を下りられた法然上人が開かれました。
法然上人が綴られた「没後起請文」、つまり遺言状のなかに記されています「白川ノ本坊 寝殿・雑舎」などは、、高弟の信空上人に付属された建物であります。
その「白川ノ本坊」こそ、この寺の前進であり、しかも師の上人も、お弟子の信空上人も、ともにお住まいになったところであります。
この「白川ノ本坊」について「寝殿」と記されてありますが、僧侶のかかわる建造物としては不似合いな感じがいたします。
それもそのはず、この「白川ノ本坊」は、もと信空上人の祖父藤原顕時の別邸であったのを、師壇の関係がある比叡山西塔黒谷の慈眼房叡空上人に寄進されたのです。
いってみれば「白川ノ本坊」は比叡山西塔黒谷の里坊になったわけであります。
叡空上人の没後、この別荘は法然上人がひきつがれ、さらに信空上人が引き継がれたのです。
してみると、信空上人はご自身の祖父の別邸を師の上人から譲りうけられ、この寺の第二世となられたことになりますから、まことに不思議なご縁を頂かれたという外ありません。
(参考:本「法蓮房信空上人」著:藤堂恭俊さん)

ご先祖さまのおかげ

藤原顕時の子が藤原行隆、行隆が葉室行隆と呼ばれ、その子の一人が信空さん、一人は宗行といい葉室宗頼の養子になっています。
勝手な解釈ですが信空さんの父、葉室行隆、葉室との関りが寂仙さんまでつながり葉室家の浄住寺が黄檗宗として再興するときに繋がっていったのではと。

すべてが目に見えないご縁でつながってきているのか。
そして320年後の今、いや1000年ほど昔のご縁を私が引き継ぎご先祖の盛業をお祀りしていかなければならないのかもしれません。

ありがとうございます。

10代さかのぼれば1024人のご先祖さま。
20代さかのぼれば100万人のご先祖さま。
みんな兄弟ですよね。
だからこそみんなが笑顔あふれる毎日を過ごせるようにしないといけないですね。

今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
改めてご先祖さまのつながりを知らなければ思っています。

 

参考:葉室家 六字名号「南無阿弥陀仏」

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