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「四條司家」包丁儀式 あらゆる食材への感謝の心を神に捧げる儀式

 

四條司家 日本料理道の祖神

こんにちは。

先日、京都吉田神社大元宮で四條司家第四十一代の四條隆彦さまとお会いし、二日間京都・奈良の藤原氏ゆかりの神社をお詣りいたしました。
来年の改元の年、新しい御代に吉田神社 大元宮(かぐらがおか)において、数百年ぶりに四條司家第四十一代当主 による包丁儀式を執り行おうと思っています。

まだまだ知らないことばかりの四條司家と庖丁儀式、いただいた案内より学びたいと思います。

四條司家 藤原氏北家魚名流

2013年12月「和食 日本人の伝統的な食文化」が、世界無形文化遺産に認定されました。
京都の精進料理や懐石料理等が紹介されましたが、認定を決定づける要点は、みそや醤油の発酵技術、食材の持ち味を引き出す調理道具、バランスの良い配膳、正月・田植え・収穫祭などの年中行事に密接に関連する地域社会との絆など、「自然の尊重という根本的な精神に関連している」ことです。
和食の神髄は「日本料理道」にあり、日本料理道の祖神として四條司家があります。

1200年以上の歴史があり、元侯爵の四條家は、藤原氏北家魚名流に属します。
即ち大織冠(たいしょくかん)鎌足の孫の房前を祖とします。
中世には、羽林家の家格の高い堂上公卿の家柄です。
羽林家とは、大納言までの昇進が可能で、しかも近衛中、少将の兼任が出来る家格を有する家のことです。

四條家は永きに亘って栄えたため、それより分流したものとしては、中御家、六條、九條、紙屋河、大宮、園池、油小路、八條、鷲尾、山科、西大寺、櫛筍等の諸家がでています。

他にも大勢傑出した人物がおります。
例えば四條隆資卿は、足利尊氏が京都を侵せしとき、新田義貞と共に防いだ豪傑で、隆房卿は鎌倉時代の歌人、「四條大納言日記」が有名です。
第三十六代隆謌卿は維新の七卿落ちの一人、武芸に達し陸軍中将、侯爵を授けられ、貴族院議員に勅選されております。
第38代隆英卿は、高橋是清氏と盟友の間柄で、官使から実業界に転じて安田生命保険会社、東京火災保険、帝国製麻各会社社長、九州電力、浅野セメント、第一火災海上保険各会社取締役に任じ、なお貴族議員に二回選ばれております。

第40代隆貞卿は、昭和29年、初めて天皇陛下に相撲をお見せになり、今日の天覧相撲のきっかけを作った人です。
また、政治経済界の相談役として活躍し、故佐藤栄作首相とは大変懇意でした。
奥様の淑子夫人は、香道御家流の宗家三条西公正氏の長女で、香淳皇后の姪にあたります。

現在は第41代當代隆彦卿が「包丁式」を復活させ伝承、古来から伝わる繊細な日本料理の魅力を伝えています。

 


(談山神社 長岡宮司と)

包丁儀式 あらゆる食材への感謝の心を神に捧げる儀式

「君がため春の野にいでて若菜つむ 我が衣手に雪はふりつつ」(小倉百人一首)
平安初期、第58代光孝天皇が、「若菜摘み」と詠じた有名な御歌であります。

光孝天皇は、料理の研究家としてその道の造詣に深く、そして自ら包丁をとっても当代随一の誉すらあった四條中納言藤原朝臣山蔭卿に、俎、包丁捌きの掟を定めるように命じました。
山蔭卿は大御心を畏ましみ、いろいろと苦心の末「式庖丁」の作法を決められました。
山蔭卿は宮中と一般臣下にも利用できる料理の普及と指導にも重点を置き、天皇家の料理から臣下の料理までを司る家として司家の名称を賜り、日本料理の祖神と崇められるようになったのです。

右手に包丁、左手に真魚箸を持ち、俎の上に据え置かれた料理材料には決して素手を触れることなく、自信の六根清浄を念じ、天下泰平、五穀豊穣を祈願しつつ、すべての料理材料の生命に捧げる感謝の意を、一刀一礼の作法に則って料理する式を完成させました。
「四條流包丁書」によれば山蔭卿が、鯉を包丁したところから始まったと記されております。

包丁式の素材は三鳥五魚と云い、鶴、雁、雉、鯉、鯛、真鰹、 鱸、鰈を用います。
「鶴の御前包丁式」は正月二十八日に、宮中の清涼殿で行われ、天皇の御前でなければ許されない、厳かなものでありました。
これは、式鶴、真千年、舞鶴、草鶴など多くの切形が残されております。

「鯉の包丁式」にも龍門の鯉、長久の鯉、神前の鯉、梅見の鯉等の名称があり、その宴にふさわしい名称の切形で包丁式が行われました。
第59代宇多天皇も食生活の問題には非常に関心をお持ちになり、1月7日の七草粥を宮中行事の一つに取り入れられる等、国民の食生活に大きな貢献をされましたが、こうした料理の奨励は、包丁式にも広がり殿上人や大名が賓客を我が家に招いたとき、その家の主人が心から「おもてなし」をする意味で、主人自ら庖丁を取って、そん庖丁ぶりを見せ、その切ったものをお抱えの料理人に調理させて賓客に供したという食生活第一の礼儀となり、特に酒宴に際しては欠くべからざる儀式になったのであります。
鎌倉、室町時代には、武家料理が盛んになり、生間流、進士流、大草流、四條園流、四條園部流が生まれましたが何流儀でありましょうとも、すべて四條山蔭卿の流れを汲むものであります。

礼に始まり礼に終わる道行は、洋の東西を通じて比類がなく、実に文化国家を称する我が国が世界に誇れる食礼の行事であります。

 


(枚岡神社 中東宮司と)

ありがとうございます。

日本の神社や神棚に供える供え物のことを神饌(御饌(みけ)ともといいます)といいます。
神事の際にはその土地の人々が特別な恩恵を享受した食べ物を神饌として捧げ、神さまを迎えました。
捧げられる神饌には、お米はもちろん酒、海の幸、山の幸、その季節の旬の食べ物などが選ばれます。
儀式が終了しますと捧げたものを下知し共に食することにより、神との一体感を持ち恩恵を受けようとする「直会(なおらい)」をおこないます。

古来より食することに関しても神への感謝の念と一体感を大切にしてきました。
そして、料理おいても四條司家の包丁儀式に伝わるように生あるものへの感謝も含めて厳かに大切に伝えこられてきました。
感謝の念を忘れてしまっている現代。
何事にも感謝からはじまり、感謝で終わる、そんな心が、この世の中が改たまる(御世)年に広がっていくことを願います。

今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
御世代わりの来年、一人一人が本当に大切なものを考えていく年になりますように。

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