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「主人公」それは自分ですよ しっかりやってますか?

 

「菜虫(なむし)蝶と化す」

こんにちは。

お彼岸ですね。
七十二候(3月15日~19日頃)では「菜虫(なむし)蝶と化す」の頃。
冬を過ごしてきたさなぎが羽化し、蝶に生まれ変わるころです。
やわらかな春の日を浴びて、羽がみずみずしく輝きます。

昔の人は、蝶のことを「夢虫(ゆめむし)」や「夢見鳥」と呼んでいました。
その呼び名は古代中国の思想家、壮子の説話「胡蝶の夢」に由来するそうです。
蝶になる夢を見たければ、本当の私は蝶で、いま人間になっている夢を見ているだけではないか、という話です。
夢と現(うつつ)が混じり合う幻想的な蝶のイメージは、昔もいまも変わりありません。

さて、今日は有馬頼底さんの「60歳からヘタれない生き方」の中からです。
現(うつつ)の自分の姿をしっかりと見つけないといけないですよ。

 

自分が主人公

よくいわれますな、「自分の人生のなかでは、自分が主人公だ」と、当たり前だと笑うかもしれませんが、どうしてどうして、これが意外と難しいもんです。
「自分の人生の主人公は自分だ」と自信を持っていえる人は、はたしてどれくらいいるのでしょうか。

その主人公のところに、自分以外の誰かを据えて、それに執着したり、振り回されたりすることで、自分で自分を苦しめている、生きづらくしている人がずいぶん多いような気がします。

この主人公ということばは、もともと禅から出たものです。
中国の唐代に瑞巌(ずいがん)禅師という人がいました。
この人は普通の禅僧のように寺の堂内で座禅をするのではなく、外に出て、石の上で坐禅をしていたことでも知られています。

坐禅をしながら瑞巌禅師はいつも大きな声で自問自答していたそうです。
「おーい、主人公。しっかり目覚めているか?」
「はいっ」
「おーい、主人公。人にだまされていないか?」
「はいっ」

ここでの主人公とは、ドラマや物語の主人公ではなく、「本来の自分」ということです。
つまり、瑞巌禅師は、「本来の自分でいられているか」「本来の自分を見失っていないか」と自らに問いかけ、自ら答えていたのです。

とかく、われわれは、自分の都合や目先の利害、その場の雰囲気や流れ、人間関係などで本来の自分を見失いがちです。
瑞巌禅師のように、ときには自分に向かって問いかけてみてはどうでしょうか。
「おーい、主人公。しっかりやってるか?」

 

ありがとうございます。

高田蝶衣の句に「雁風呂のもえぬ木をふく涙かな」とあります。
雁風呂とは青森県外ヶ浜に伝わる風習です。
「雁供養(がんくよう)(かりくよう)」ともいいます。
雁は北から渡ってくる時、海の上で休むための木片を咥えてきますが、陸にたどり着くとそれを浜に落とします。
しかし、浜に多数の木片が残ることがあり、それはこの地で命を落とした雁のものに違いないとして、渡りの終わる頃、木片を拾い集め、風呂を焚いて供養するのだといいます。

雁も木片を咥えながらい一生懸命いきているのですね。

今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
夢の中ですごすのではなく、しっかりと現実を見つめながら日々を過ごしていかなければならないですね。

 

参考
本:「60歳からのへたれない生き方」著:有馬頼底さん
本:「日々の歳時記」著:夏生一暁さん

 
「明け方」も「夕暮れ」も曖昧。でも、そこに美しさがあります。
3月は弥生。ムスカリの花が可愛いですね。
もうすぐ京都の春の「をどり」どす!

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