黎明塾 新たな世界の黎明期 | 和の素敵
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黎明塾 新たな世界の黎明期

神無月(かんなづき) 「円相」

  神無月(かんなづき) 円相は、禅における書画のひとつで、悟りや真理、仏性、宇宙全体などを円形で象徴的に表現したものとされるが、その解釈は見る人に委ねられる。 この円相には、それを書く人の品性や霊格、心の持ちようまでが表される。 禅僧の高僧は、この円相に己のその時々の思いを象として表した。まさにその一瞬、一期一会である。本来、書とは、ただ単に文字を書くことにあらず。 その思いを表す、その意味において、この円相は、ただの円でありながら、書き手の思い、また、受け止め手の思いによって、大きく広がりのあるものであり、正に禅の悟りにも通ずるものである。 ...

お彼岸です 昔々からご先祖さまをお迎えしてました

  お盆 こんにちは。7月の黎明塾で「先祖のまつり」と題してお盆のことなどお話がありました。みなさまもご一緒に。お盆は旧暦七月十五日を中心とするもともとは祖霊をお祀りする日本古来の神道の行事です。お家のご先祖さまが精霊(しょうりょう)として帰ってくるのをお迎えし、手厚くもてなします。ところが、仏教を布教するため、日本古来の七月の祖霊祭に仏教の盂蘭盆会(うらぼんえ)を結びつけたために、現在では仏事であるかのように思われています。  先祖のまつり 日(ひ)の本(もと)に生(あ)れ出(い)でにし益人(ますひと)は 神...

長月(ながつき)「瑞」  黎明会書簡より

  長月(ながつき) 瑞穂の国とは日本書紀に書かれている日本の美称です。「瑞」とは天が示す吉祥を言い、黄金色に輝く稲穂がたわわに、普(あまね)くこの国に稔る様を天の瑞祥として、「豊芦原千五百秋瑞穂国」と名付けました。 ここには豊かに稔る稲穂が美しい国を祝福する意味が込められています。 また、我々のご先祖様の水に対する深い信仰心が古事記には「水穂国」として記されてたのです。このように我々のご先祖様はこの国に深い思いを持ちまた自然の恵みの中に生かされているということを「瑞穂国」「水穂国」として表したのです。 戊戌 七月吉辰 一般...

日本道、伝統の美学  黎明塾7月より

  日本道、伝統の美学 こんにちは。今日は、先日(7月22日(日))学びました黎明塾のお話から。 日本人は無宗教であるとよく言われます。確かに多くの日本人は外国人の様な絶対的な信仰心というものを持たない民族であることは間違いありません。しかし、それは既存の概念で宗教というものを捉えた場合のことであり、実は、日本人ほど本来の意味での本質的な宗教観を持った民族は世界中を見渡しても稀ではないかと思うのです。こう述べると奇異に感じられる方もたくさんおられるでしょうが、実は今回のテーマである「日本道」というものこそが日本人の...

文月(ふみづき)「星」

  文月(ふみづき) 「七夕」星祭りや会い星の異名の有る五節句の一つ。旧暦の七夕(七月七日の夕方はしちせきと呼ばれていました)は現在の八月なので夜空には満天の星が煌めき、琴座(ベガ)が織姫、蟹座(アルタイ)が彦星。この2つの星と白鳥座(デネブ)を結んだものが夏の大三角形と呼ばれます。七夕伝説では年に一度、この2つの星が天の川を渡り和合することになっていますが、まさに”星”の実時に秘められた意味こそ七夕(星祭り)に託されたメッセージが有るのです。 星とは日に生まれると書きます。私達が宿命を持って生まれた日の事を京中山...

「旦」 戊戌歳のはじめに

  戊戌歳 睦月(むつき)  「旦」はタン、あさ、あした、あける、あかるい等と読みがあります。文字の成り立ちとして良く謂われる「一」の上に「日」と書き、これは「一」を水平線や地平線を表し、そこから「日」が昇る様、いわゆる夜明けを表すのであさ、またはあけるとも呼ぶ・・・という説明は正確ではありません。文字の源初に近い「金文」には旦の下には「一」ではなく、■の様な形の上に日という形が重なっており、この■はおそらく、雲や山、若しくは闇を表すものと考えられ、この事で旦は遮るものから解き放たれた光を表す文字と受け止められると良いでしょう。今...

師走の「師」

   師走の「師」  「師」の字源は神に肉を供えて戦に勝利するの意であり、転じて勝利に導く人、そこから人に事物を教える人や、僧侶を「師」と称する様になりました。論語に「子曰 温故而知新 可以為師矣」とあり、孔子は古典や歴史にこそ学ぶべき師で有ると教えています。私達も伝統の大切さを知り、それが多く伝えられているこの国に生れた事を感謝したいと思います。 一般社団法人 和の道 黎明会 理事長 中山貴英 書簡より...

なぜ?ご飯茶碗は「左」に置くのか  黎明塾より

 なぜ、ご飯茶碗は「左」に置くのか  日常の生活で不思議に思うこと。なぜ、ご飯茶碗は「左」に置くのか?私たちは、当たり前のようにご飯茶碗を「左」に置きます。なぜそうなのかわからなくても、ご飯が「右」に置いてあると、落ち着かないのではないでしょか。そのほうが食べやすいから。勝手がいい。ということだけでなく、ご飯は「左」に置くことに意味があります。皇祖神、最高神といわれる天照大神は、イザナギの「左目」から生まれました。「左右対称」など、右と左を書くときは左を先に書きます。このように...

日本人の背骨としての神道  黎明塾より

  日本人の背骨としての神道(しんとう)  「神道を学ぶ」ということは、神さまの名前を覚えたりすることではなく、私たちの日常の生活の中に、知らず知らずのうちに入りこんでいる「神道」を、きちんと知ることが、「神道を学ぶ」ということです。それを知ったからといって、何かの役に立つのか?といわれると、役に立たないかもしれません。しかし、なぜそうなったのか。ということを知っておかなければ、次世代に伝えていくことができなくなってしまいます。  私たちの歴史は、紡いできた歴史です  歴史とは、一代で創り上...
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