黎明塾 新たな世界の黎明期 | 和の素敵
Slider

黎明塾 新たな世界の黎明期

「旦」 戊戌歳のはじめに

  戊戌歳 睦月(むつき)  「旦」はタン、あさ、あした、あける、あかるい等と読みがあります。文字の成り立ちとして良く謂われる「一」の上に「日」と書き、これは「一」を水平線や地平線を表し、そこから「日」が昇る様、いわゆる夜明けを表すのであさ、またはあけるとも呼ぶ・・・という説明は正確ではありません。文字の源初に近い「金文」には旦の下には「一」ではなく、■の様な形の上に日という形が重なっており、この■はおそらく、雲や山、若しくは闇を表すものと考えられ、この事で旦は遮るものから解き放たれた光を表す文字と受け止められると良いでしょう。今...

師走の「師」

   師走の「師」  「師」の字源は神に肉を供えて戦に勝利するの意であり、転じて勝利に導く人、そこから人に事物を教える人や、僧侶を「師」と称する様になりました。論語に「子曰 温故而知新 可以為師矣」とあり、孔子は古典や歴史にこそ学ぶべき師で有ると教えています。私達も伝統の大切さを知り、それが多く伝えられているこの国に生れた事を感謝したいと思います。 一般社団法人 和の道 黎明会 理事長 中山貴英 書簡より...

なぜ?ご飯茶碗は「左」に置くのか  黎明塾より

 なぜ、ご飯茶碗は「左」に置くのか  日常の生活で不思議に思うこと。なぜ、ご飯茶碗は「左」に置くのか?私たちは、当たり前のようにご飯茶碗を「左」に置きます。なぜそうなのかわからなくても、ご飯が「右」に置いてあると、落ち着かないのではないでしょか。そのほうが食べやすいから。勝手がいい。ということだけでなく、ご飯は「左」に置くことに意味があります。皇祖神、最高神といわれる天照大神は、イザナギの「左目」から生まれました。「左右対称」など、右と左を書くときは左を先に書きます。このように...

日本人の背骨としての神道  黎明塾より

  日本人の背骨としての神道(しんとう)  「神道を学ぶ」ということは、神さまの名前を覚えたりすることではなく、私たちの日常の生活の中に、知らず知らずのうちに入りこんでいる「神道」を、きちんと知ることが、「神道を学ぶ」ということです。それを知ったからといって、何かの役に立つのか?といわれると、役に立たないかもしれません。しかし、なぜそうなったのか。ということを知っておかなければ、次世代に伝えていくことができなくなってしまいます。  私たちの歴史は、紡いできた歴史です  歴史とは、一代で創り上...
Translate »