一木一草に神様がやどる 自然と共生してきた日本人

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

 

スポンサードリンク

お米には八十八の神様がいる

こんにちは。

昔からよく言いますよね。
お米には七人の神様が宿るから残さず食べなさい。って
実際お米は1日2日で作れるものじゃないですよね。
農作物もそうですが、お百姓さんの手間暇掛けて作られるものです。
気候に寄って出来が悪くなったり、出来すぎて潰したりとかね。

米という漢字を分解して八十八・・・と言うのは、米を作るには八十八の手間がかかっている、という意味です。地方に寄っては88人の神様が居るとか。
いずれにせよ、「お米は大切にして、感謝して頂きなさい」という祖先からの戒めです。
宿る神は七福神だったり大黒様の仲間だったり地方によって様々ですが、兎に角米ってのは日本人の文化に欠かせないものですよね。

叔父の絵本「にほんよいくに」の第三巻が発刊されました。
今回は神社のおまつりです。
その中の一つ「一木一草に神様がやどる」から物の大切さなど学んでみませんか。

 

自然と共生してきた日本人

はるか昔の日本人の祖先たちは、自然環境に恵まれた日本列島に住み続けるうちに、自然と共生しようという独特の生き方を見つけてきました。
小さな草や木にも、あらゆる生き物や、人の力の及ばないような大きな岩や山にも、すべてのものに神様がおられるという考え方です。
周りにあるそういう自然のおかげで生かせれているという、すばらしい生き方を身につけてきたのだと思います。

たとえば朝、お日様が上がると太陽を拝み、今日一日が無事に生活できるように願いました。
私たちは、毎日朝が来ると太陽が昇って、夕方沈んで、また次の朝に昇るのを、当然と思っていますが、この太陽の恵みにも忘れず感謝してきました。

私が子どものころは、お米は日本人の命であり、農家の方が一年中、汗水たらして作られた大切なものですから、一粒のお米であっても大切にしました。
神社では、豊作を願って一年中お祭りを行い、秋になってお米が出来ると、新米をまず神様にお供えしてから、人々がいただくという習慣がありました。
また、毎日ご飯を食べる時にも、神様に感謝して食事をいただいておりました。

神社では、その習慣が今でも残っております。

 

全ての生物に神さまがやどられます

生物のすべてに神様の命がやどると思っているので、木を切る時でも、神様に「木を切らせていただきます」とお断りしていますし、たとえ小さな虫でも、意味も無く殺すことはしませんでした。
何かで動物を殺したとしても、かわいそうに、申し訳ない、と思ったものです。
野に咲いた花にもやはり、そこに神様がおられるような気がして、持って帰ろうという気はしませんでした。

けれど今の人は軽い気持ちで取ってきて、自分の家に植えたりしています。
そうではなくて、花ひとつでも「きれいに咲いているなぁ。やっぱり、神様のお力ですばらしく咲いているんだな」という感動が、日本人だと思うのです。

ところがだんだんと、外国のりくつばかりの教育が入ってきて、日本人の考え方も変わり、外国と同じように、それぞれを対立の関係でとらえる考え方になりました。
まるで自分の力だけで生きているみたいに、思い上がってしまいました。
自然や生物に対する思いやりとか、日本人らしい感動とか、こういう心をみんな失った、殺伐とした世の中になってしまいました。
平気で人殺しをしてみたり、たいした理由もないのに動物を虐待してみたり、恐ろしいことです。

一木一草にも神様がやどるという考え方とか、次にお話しする八百万の神さまのことは、とてもすばらしいと思うのです。
どうしても、もう一度原点に戻って、こういう日本人の心を子どもたちに伝えないといけません。
そして、いろんなものの命、友だちの命、自分の命も、大切にしてほしい。
命あるもののすばらしさを知ってほしいと思います。

(文:にほんよいくに③神社のおまつり:元春日大社宮司・葉室頼昭著)

 

ありがとうございます。

神社には一年中たくさんのおまつりがあります。
なぜなら、ずっと昔は、神社のおまつりが、そのまま毎日の生活にむすびついていたからです。
みなさまの普段の生活のなかにも、神社とそっくりなところがたくさんあります。
目に見えない真実の世界がうけつがれているからですね。

今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございます。
あらゆるものを大切にする日本のこころをいつまでも大切にしたいです。

 



  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

SNSでもご購読できます。

スポンサードリンク
Translate »