芸者の歴史は古く、白拍子や巫女にたどりつきます。

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向島芸者の千景です(*^-^*)

さて今日は芸者の歴史についてもう少し掘り下げていきましょう。

芸者の歴史は古く、辿っていくと、白拍子や巫女にたどりつきます。

白拍子とは、源義経の恋人といわれていた静御前がおりますが、当時流行っていた歌や踊りで宴を盛り上げることを職業としていた遊女でした 。

巫女は、「古事記」・「日本書紀」に記される日本神話では、天岩戸の前で舞ったとされる天鈿女命(アメノウズメ)の故事にその原型が見られます。

やがて戦乱の世となると、白拍子は廃れ、再び平和が訪れた江戸時代、歌や踊りで客を楽しませる女性が現れました。

ここから「京都」で舞妓・芸妓の歴史は始まります。

京都・八坂神社近くの東山地区で、神社・仏閣にお参りする人にお茶やお菓子を振舞う水茶屋(みずぢゃや)で、料理を運んでいた娘たが、いつしか当時流行り始めた歌舞伎を真似て、三味線や踊りを披露するようになったのです。

そして「東京」では、1600年前半に吉原の遊郭ができ、中頃からは深川に踊り子たが集まり始め、芸者が世間に知られるようになります。

その後、吉原は衰退して、芸のできるものが少なくなったために、幕府公認で深川の踊子の中から芸事に優れたものを吉原に呼び寄せ、いわゆる色を売らない吉原芸者を生み出します。

芸者と遊女の区別がすぐつくように、芸者は、白襟無地の紋付の小袖に縫いの無い織物の帯を締めることを義務付けられていたり、簪の数を制限したりと、見た目を地味にし、一目で分かるようにしていたようです。

つまり芸者と遊女の職分は幕府によって厳しく住み分けられていたのですね。

それでは今日も素敵な1日をお過ごし下さい♪

 

千景さんの他のお話し
日本初のファーストレディーは芸者でした。
「日本といえばフジヤマ・ゲイシャ」
芸者は生涯現役で出来るお仕事なんです。
向島芸者の千景です。 先ずはご挨拶から。

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綾香
向島芸者 千景   【  置屋「千石」】
Mail    info@sengoku-japan.com
HP  http://sengoku-japan.com

 



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