「眩(くらら)」の原作者、朝井まかて氏(直木賞作家)をお招きしての対談《黎明会 和の学び》

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直木賞作家 朝井まかて氏の講演について

9月16日に 和の学び~江戸時代に学ぶ日本女性の美しさ として、セミナーが開催されました。

講師は直木賞作家の朝井まかて氏です。

直木賞作家 朝井まかて氏の講演について

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朝井まかて氏のプロフィール

大阪府羽曳野市生まれ。ペンネームは沖縄出身の祖母(新里マカテ)に由来する。広告制作会社でコピーライターとして勤務した後に、2008年「実さえ花さえ」で小説現代長編新人賞奨励賞を受賞して小説家デビュー。
2013年には歌人の中島歌子の生涯を描いた「恋歌(れんか)」で第150回直木三十五賞を受賞。その後も「阿蘭陀西鶴」「落葉」「眩」など、有名作品は多数。現在も執筆活動を続けている。

 

中山理事長

中山貴英理事長のプロフィール

京中山家初代忠伊(ただこれ)卿は119代光格天皇の第六皇子で幼名武生宮長仁。中山大納言家に臣籍降下し忠伊と名乗る。
長女慶子は明治天皇ご生母の中山一位局。
二代忠英、三代忠宗は大日本皇道立教会々長(総裁久邇宮朝彦親王)四代忠徳は御嶽教管長を経て太祖教管長に就任。
門下からPL教開祖御木徳近、山陰神道管長山陰基央、日本船舶振興会(現日本財団の前身)会長笹川良一、陽明学者安岡正篤等昭和の傑物を多数輩出。現当主貴英氏は四代忠徳卿の嫡孫で光格天皇五代の孫に当たり、京中山家六代当主、貴嶺殿廿九代目、一般社団法人和の道黎明会の理事長を務める。

中山理事長と朝井まかて氏の出会いは、朝井まかて氏がたまに行く大阪のコーヒーショップで、お店のママから「テレビで見た直木賞作家の!」と言われて、ママの知り合いである中山理事長の知り合いを介して、紹介をしてもらうことに。
その時にご先祖が光格天皇である中山理事長に、朝井まかて氏は「天皇は自身のことを何て仰っているんでしょう」と話して、そこから話が弾み、今回の対談が実現することとなりました。

 

 

 

「人間一生に一冊本を書ける」とは

人間一生に一冊本を書けるという言葉があります。朝井まかてさんは「それは自分の人生を書くということです。つまりは私小説。小説という名前がつくのでフィクションですが、それでも構わない。自分はこう思った、女房とはこうだった、会社ではこうだったと書くことで、小説になり、これはきっと面白いです。」と語っておられました。

 

 

眩

 眩(くらら)公式WEBサイト(左)./Googleブックス(右)より引用

眩(くらら)について

あべのハルカス美術館とイギリスの大映博物館の共同プロジェクトで「北斎展」が10月から始まります。なぜあべのなのか、それは来月の小説新潮で、あべのハルカス美術館の館長と朝井まかてさんが対談をしていて詳しく書かれています。
大映博物館の中に日本部というセクションがあります。その日本部のクラークさんと、あべのハルカスの館長さんが古い知り合いで、いつか一緒に国際展をやろうねという約束をはたすことに。
そして朝日新聞やNHKなどが協賛するので、NHKでも何かそれにちなんで、ドラマをやりたいなということでになりました。ちょうど篤姫を作ったプロデューサーが、北斎だからということで、まずは北斎を選んだ小説をたくさん読んだそうです。
でもこれというものが無かったのです。そして朝井まかてさんの眩(くらら)の小説の中の北斎の娘は、北斎の娘が主人公でその娘の画業について迫れるんじゃないかということになりました。そしてドラマ化につながったのです。

 

中山理事長のお話

「阿蘭陀西鶴」とは

中山理事長のお話では「ある評論家の方が阿蘭陀西鶴を読んで、要は今につなぐ西鶴の気持ちを視線や目線を持てるのは、朝井まかてである」と書いていたと語られました。
これを読んだ時に、すごい褒め言葉じゃないのかなと僕は思いましたと。そして生き生きとした表現は、朝井まかてさんが落語に造詣が深いからではないかと、中山理事長が仰った時に、朝井まかてさんは、とても謙遜をしながら「落語をとても好きではあります」と語っておられました。

 

朝井まかて

江戸時代の女性について

江戸時代の女性は記録に残っていることが少なくて、情報もあまりない場合が多いです。でも朝井まかてさんのお話では、江戸時代の日本の女性は闊達で自由でした。結婚についても「これは無理」と思うと、無理をせず別れて縛られない生き方をする人が多かったそうです。
八回離縁をした人の記録があるのですが、結婚や離縁を繰り返せるのは甲斐性があったから。それぐらいパワフルな日本の女性は、中山理事長が言うには落語が関係しているのでは?ということ。
意図的ではないにしても、実際にそうかもしれないというのが朝井まかてさんの答えでした。

これで書けた!と思った時には

質問の中で「最後の一行を書いた時はどんな思いですか?」というものがありました。その答えとして「最後の一行を書き終えた時は格別です」と、朝井まかてさん。
そして「大体章に分けて書いていたりします。ほとんど雑誌で連載をしています。大体八回とか十回の連載のお約束をしていて、これがもう最終章だというのは、分かって書いているわけですね。それが原稿用紙で言うと、私の場合は書いてみないと分からないという感じではあります。
でも最後の一行は自覚しています。終ったっていう。最後のピークはあるので、これで、なにがしかの着地は出来る、べつに飛んでいったままでもいいんですけど。それは分かります。」と語っておられました。

小説を書くのなら何から始めたらいいのか

中山理事長が「小説を書くなら何から始めたらいいですか」という質問をすると、それに対して朝井まかてさんは「中山さんの場合は書こうとしていることに対して知り過ぎているので、本当は何を書かないかもすごく大事なんです。書くことよりも。
私はプロット、あらすじはほとんど作らないですが、中山さんの場合は情報がありすぎるので、まずはプロットをお作りになった方がいいと思います。
でも書いて行くその通りにはならないんですよ。ならない方がきっと面白いものになりますので。最後の一行と同じくらいもしかしたら大変なのは、最初の一行なんですけど。書き始めたら、分からないことが出てくるんです。それだけご存じのことでも。
だって心情は想像するしかないし、切腹した痛みも想像するしかないでしょう。その分からないことに迫るのが小説なんです。」とお答えになりました。まさに一同納得という感じです。

朝井まかてさんの人柄の素晴らしさ、そして歴史小説や時代小説にかける思いが伝わるセミナーになりました。小説というものは読むものであると思っていた人でも、このセミナーを聞くことにより、自分も書いてみたいと思う気持ちを持ったのではないでしょうか。



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