茶の湯と禅

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こんにちは。

 

週末の秋空の中、気持ちのいい時間を過ごしながら、流れゆく雲に龍の姿をみつけて

「ありがとう」ってなぜだか一言。

都会でくらしていると自然に触れることが少なくなるかもしれませんが、そんな時には空を見上げてください。

そこには、どこまでも広がる大きな自然が「ようこそ」って迎えてくれます。

そして「ありがとう」って一言。

あってあたりまえの空ですが、いつもあたりまえにある空に感謝。

いっぱい「ありがとう」って。

お茶の世界にも、ありがとうがいっぱいあります。

今日は、茶の湯と禅について少し。

 

茶は徳のあるもの

 

中国の宋の時代、禅宗は飛躍的に発展し、高級官僚や知識人の間で大流行しました。

そのとき、禅院では、茶を飲む儀式、すなわち茶礼が行われていました。

また、唐代、宋代の禅僧の伝記には、茶を点てて喫するときに修行上の問答をしている例があったり、作務(修行のための労働)のひとつとして茶園で働くことなどが出てきます。

禅と茶が密接だったことがわかります。

中国の陸羽(?~804)が記した「茶経」には、茶の歴史から製法、手順や理論がかなり細かく書かれています。

それがまとまった形で最初から日本に入ったのです。

ところが遣唐使が廃止されると、そこで日本における茶の歴史は一度途絶えます。

民衆に受け入れられず、根づかなかったのです。

広まるのは鎌倉時代、禅宗が移入されてからでした。

茶を本格的に日本に伝えた栄西(1141~1215)は、その著書「喫茶養生記(きっさようじょうき)」で、茶は眠気をさます効果があって座禅の際には重宝であると記しました。

茶は高級飲料で、徳のあるものだと広めていったのです。

 

茶の湯

 

やがて禅寺に通う武士の間でも、茶を飲む習慣が流行し、足利初期になると、「闘茶」「茶寄合」が出てきます。

人々が寄り合い、茶を飲むということに陶酔した感覚があります。

その一方で宗教的な気持ちの荘厳さを生み出し、他方では遊興的にエスカレートしたものを生み出していったと思われます。

遊興に流れすぎた茶の湯の締め直しをはかったのが茶祖といわれる珠光(しゅこう)です。

珠光はもともと奈良の称名寺の僧で、彼自身も当初は闘茶などの遊興的な茶の湯に親しんでいたと考えられます。

その後、茶の湯者となり、大徳寺の一休禅師と出会い、禅の教えを受けて、もう一度お茶を見つめ直して、その精神性を高めたと伝えられます。

珠光が参禅し、ある悟りを得ました。

その印可(免許皆伝)の証しとして一休が珠光に与えたのが、圜悟克勤(えんごこくごん)という宋の禅僧の墨跡であり、それを床の間に掛けました。

それによって、お茶と禅を結び付けたわけです。

それにならい、武野紹鴎(たけのじょうおう)も流れを継ぎます。

千利休も大林宗套(だいりんそうとう)、笑嶺宗訢(しょうれいそうきん)、古渓宗陳(こけいそうちん)に参禅しました。

(文:茶の湯との出会い2013年6月9日放送分(NHK趣味悠々))

 

ありがとうございます。

 

今日は浄住寺でお稽古している瑞芳菴流煎茶のお点前が平安神宮であります。

京都六流派が一同にお席をひらきます。

お点前はもちろん流派ごとの型を以てお茶を点てますが、何よりも大切なことは「おもてなし」の心。

「お越しいただきまして、ありがとうございます。未熟な私ではございますが、気持ちをこめてお茶を点てさせていただきます。」と。

お点前の作法などに気がいってしまって、お茶を入れることで精一杯。

お茶を点てるところまではまだまだ・・・な私。

いつかは「ありがとうございます」の思いがいっぱいのお茶を点てられるようになりたいです。

その時は、遊びに来てくださいね。

 

今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございます。

秋の風が気持ちの浄住寺です。

お時間ありましたらお寄りくださいね。

「ありがとう」の思いがいっぱい詰まったお茶を一服、お楽しみください。

 



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