奥田祐斎さん「夢を染める」  和の素敵な人たち

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夢こうろ染 奥田祐斎さん

嵐山の保津川沿い、一番奥に工房を構える奥田祐斎さん

知人からの紹介で一年ほど前よりご縁をいただき、何度も嵐山へ。

その度に、いつも新しい発見と気づきが。

今回、改めて祐斎さんに「こうろ染め」と「きもの」のお話しを伺いました。

今、当たり前と思ってることも少し前は当たり前でなかったり。

知らないことは損してること。

それでは、祐斎さんのお話しを一緒に楽しみましょう。

 


(写真:1990年11-27 週刊読売「即位の礼 全記録」より)

黄櫨染(こうろぜん)

来年くらいからすごく話題になると思うのですが、再来年の5月1日に即位されるので、新しい天皇が黄櫨染(こうろぜん)を着用すると思います。

葉室  「それは、誰が作った黄櫨染ですか?」

お公家さんですよ。

天皇の生活とか儀式とは、昔からお公家さんがされてらっしゃいます。

装束については、高倉家、山科家が代々継がれています。

しかし、現在は「お公家」として地位と収入もないのが現状。

そのお公家さんが天皇家の歴史を守ってきましたけど、今では守れていないのでは。

 

聖徳太子は時の最先端

聖徳太子が即位されて天皇が紫を着るという形態が生まれました。

紫は、特にヨーロッパ(地中海の沿岸部のエジプト、ギリシャ、ローマなど)の王様、王女様になると、その紫を着用することが出来たのですね。

それで、紫が世界に広がりました。

それをコピーしたのは、聖徳太子。

聖徳太子は、世界の先進的なコピーをどんどん取り入れました。

それから、200年ちかく経って、嵯峨天皇が紫をやめて、黄櫨染にしたのです。

それが、今から1200年前の話。

 

嵯峨天皇が日本風に

嵯峨天皇と空海というのは、中国に学びつつも日本の京都における国風文化の始まりを作ってくれた人。

その典型が、十二単。

十二単が始まるのは、京都平安時代。

その頃から、風が入る日本の気候風土に合ったファッションが生まれました。

日本は、梅雨時ムシムシするでしょ。

今は冷暖房があるけど、昔はそうはいかないから風通しのいいきものが生まれました。

そして、合理的にと、着物は単衣にして直線断ちをして、仕立てるので、仕立て直しも出来る。

また、昔の縫い目は、5cmほどのざっくりした縫い目で解きやすかった。

(洗い張りがやりやすかった) 昔は、身幅も広かった。

今では、縫い目が細かいでしょ、これは仕立てのコンクールなどで競うようになってから、細かくなっていったそうです。

全部単衣で、平織りでつくっていた着物。

それを8枚もっていたら、どれもが表着(おもてぎ)になります。

順番を変えれば、良いわけですね。

夏は1枚。

寝るときも1枚。

寒いときは2枚・3枚・・・と重ねれればよかったのです。

 

黄櫨染と夢こうろ染の違い

黄櫨染(こうろぜん)は1200年前に嵯峨天皇が第一礼装に定めた禁色です。

それ以前は、聖徳太子が定めた冠位十二階の制に基づき紫が第一位の色とされていました。

夢こうろ染は、歴代天皇が実際にお召しになっていた「黄櫨染」を奥田祐斎さんが1990年に広隆寺の協力のもと特別に調査し、その謎を解き明かした経験から生み出された独自の染色技法です。

夢こうろ染は、黄櫨染と混同されないために配慮して付けられた染色技法名です。

黄櫨染は、天皇陛下のみが第一礼装として着用されるものなので、その違いを明確にしています。

(文:「祐斎 夢を染める」より)

 

ありがとうございます。

祐斎 夢を染める」の文頭にこのように書かれていました。

 

「夢を染める。 Dyeing dreams.

天の恵みに感謝し 天と一体になったとき 夢が見える。

夢は、未来であり、宇宙である。

私たちは 夢を染める。」

 

祐斎さんはいつもおっしゃいます。

「染は天と、自然とともにあるんだ」と。

ともにあることを忘れた私たちは、自分の力でできていると錯覚しています。

そんな錯覚はもうおしまい。

これからは、天に感謝して天と一体になって、素敵な夢をみていきませんか。

争いのない、いつも笑顔あふれる、楽しい毎日がおくれますようにと。

 

今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

次回は祐斎さんの数々の作品をご紹介できたらと思っています。



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