日本のお風呂は、庶民の最高のおもてなしでした

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日本のお風呂は、庶民の最高のおもてなしでした

お風呂とは贅沢なもの

 

こんにちは。

四月に入り、20度を超す毎日、どうなってるの?

ポカポカ陽気に誘われて、桜は入学式を待たずに葉桜に。

週末のお花見で汗。

汗かくと、大好きなお風呂にはいりたい。

 

さて、お風呂、昔は「湯」とは今でいうお風呂と同じで「湯」に体を浸すものでした。

一方「風呂」は蒸し風呂のようなもので蒸気を発生させ、その蒸気に人間が蒸せられて、垢をこすりおとし、掛け湯をするというものでした。

現在のサウナのようなものですね。

ただこのお風呂というのは贅沢なもので、たまに入るものであり、一種の娯楽だったようです。

武士や一般庶民は普段は水で体を洗う「行水」、または水でただ汚れを落としていたようです。

 

禊の習慣が沐浴の始まり

 

日本の風呂で最古のものは瀬戸内海各地にあった岩風呂で、岩窟の中で自然に生まれた蒸気による入浴をしたものといわれています。

また、神道による川や滝での禊の習慣が沐浴の始まりという説もあります。

やがて大陸から仏教が伝わると、寺院では沐浴を修行の一つとして行うようになります。

仏教では、汚れを洗うことは仏に従える者の大切な修行と考え、沐浴の功徳を説きました。

寺院は境内に浴堂を設け、大釜でお湯を沸かして蒸し風呂をつくりました。

僧侶や庶民も心身を清め、修行をするため、また医療目的で沐浴をしました。

奈良の東大寺や法華寺には、いつまでも当時の湯屋や浴堂がのこっています。

 

風呂は、七病を除去し七福が得られる

 

この頃は庶民の家にはもちろん風呂などありませんでしたから、寺院では庶民に施浴といって、風呂を無料で開放しました。

仏教では「風呂に入って清めると七病を除去し七福が得られる」と説いたうえ、蒸し風呂の心地よさに施浴は庶民の間で大ブームになりました。

これこそ、まさに寺院の庶民へのおもてなしですね。

そのおもてなし精神の最たるものが、聖武天皇の皇后であった光明皇后の施浴です。

 

光明皇后の慈悲深い祈り

 

当時の都には天然痘が流行り、多くの死者を出していました。

光明皇后は疫病を鎮めて国家鎮護を仏に祈りました。

そして、仏のお告げで、奈良の法華寺に浴堂をつくり、1000人の民衆の垢を流すことをされます。

皇后が、俗人の垢を流すなどというのは、大変なことです。

しかも1000人目に現れたのは、誰もが尻ごみするような皮膚病の患者でありましたが、皇后はこれをいとわずに洗ったところ、見る間に浴室に紫雲がたなびき、患者は金色の阿閦仏(あしゅくぶつ)となったそうです。

光明皇后の悲願は達せられたのです。

以後、光明皇后は仏教の帰依が厚く慈悲深い后として敬われることになりました。

この話は言い伝えであり、事実かどうかは不確かでありますが、この光明皇后の施浴こそが、日本人の精神の根本に流れている「おもてなしの精神」ではないでしょうか。

日本人の風呂好きは、仏教寺院と光明皇后のおもてなしから始まっているといえるでしょう。

こうして、大人気となった寺院の蒸し風呂から、平安時代になると街はすでに、庶民が楽しむ銭湯のはしりが登場するのでした。

参考:身につけよう!日本人のおもてなしの心

 

ありがとうございます。

 

光明皇后、聖武天皇の皇后。

そして、時の権力者、藤原不比等の娘。

悲田院、施薬院を作り慈善事業を始められたり、聖武天皇を支えて大仏造立など仏教による国づくりを進め、国分尼寺の総本山・法華時を創建されました。

やんごとなき身分にありながら、慈善事業にも熱心で、貧しい人や病気の人のための施設を作りました。

光明皇后、美しさや優しさだけじゃなくて、こういう賢さも長けてる素晴らしい女性でした。

 

その時代のお風呂から、毎日お風呂に入れるこの時代。

ありがたいことです。

あたりまえと思っていますが、感謝しないといけないことがたくさんありますね。

 

そう、感謝する心を、あらゆるものに、目に見えないことにまでいつも持ちたいものです。

今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

「ありがとうございます」の和の心が、争いのない笑顔あふれる楽しい星にするのでしょうね。

 



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