「無」とは 「何もない」という意味ではないです。

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無になる

無=ゼロではなく、無限!

 

こんにちは。

私は小さい時に、私はどうして生まれたの?どうして生きてるの?

どうして、宇宙はあるの?どこまであるの?

考えても答えなど出るはずもないのに、眠れない夜を過ごす日がありました。

古事記で、最初に天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)が現れ、その後、高御産巣日神(たかみむすび)、神産巣日神(かみむすび)が現れ、すぐに姿を隠したと読んだときも、どうして現れたの?と、眠れなかったです。

最近は「ビッグバン」、150億年前に起こった大爆発で宇宙ができたとか。

 

あたりまえに暮らしているのですが、あたりまえでないことがたくさん。

今日は読んでも難しいですが(ごめんなさい)、「無」のお話し。

老子のお話しから。

 

老子の考え

 

老子の思想は「道家思想」と呼ばれていますが、これは『老子』が「道」について語られている書物であることに起因します。

「道」とは普段歩くために使う道路のことではなく、人間社会からはるか宇宙に至るまでの根本的な原理であり、人間が生きる上で手本とするべき最高の理想、すなわち道徳のことです。

その「道」からあらゆるものが生まれてくると老子はいいます。

また「道」とは本来、言葉にできるものではなく「名無し」の状態を指し、なにもない天地の始まりのようなものであるそうです。

そこから万物が生まれることで、はじめて「名有り」の状態になり、無から有が生まれるという構図ができるといいます。

その後に、「道」に内在している「徳」の働きが、万物を養い育てます。

 

 

天下の物は有より生じ、有は無より生ず。

 

つまり老子の語るこの「無」は、そこになにもないという意味ではなく、何者であるかが規定できないから無といっています。

別の名称をつけ明言すると、その存在に限定されてしまうため、一切合切を包括する「無」という言葉を用いたのだと東京大学名誉教授の蜂屋邦夫さんは解説されています。

「無」と「有」の関係性を、もっともわかりやすく表現したのが、第四十章にある言葉です。

 

天下の物は有より生じ、有は無より生ず。

(世の中の物は形あるものから生まれ、形あるものは形ないものから生まれる。)

 

老子は、「無から有が生まれて、そこから天地万物が生成される」といいたかったのです。

第四十二章では、さらに発展させて、「道」からどのように万物が生まれてくるかの過程が順序立てて説明されています

 

道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず。万物は影を負い陽を抱き、沖気以て和を為す。

(無という道は有という一を生み出し、一は天地という二を生み出し、二は陰陽の気が加わって三を生み出し、三は万物を生み出す。万物は陰の気と陽の気を内に抱き持ち、それらの気を交流させることによって調和を保っている。)

 

 最初に出てくる「道」は、天地よりも先に存在する「なにか」であって「無」を指します。

それを姿かたちのない存在として認識したものが「一」としての気。

さらにそれが陰陽の二つに分かれて、「二」となり、沖気(陰と陽の気を作用させること)が作用して「三」となり、そこから万物が生まれてくるというわけです。

 

「無」からすべてが生み出されるというと、なにもないところから生まれるはずがないだろうと思ってしまいますが、老子は「無」というものを、なにもないのではなく、ありとあらゆる可能性を含みもつ状態としているのです。

参考:『NHK 100分de名著』2013年5月号より

 

ありがとうございます。

 

「無」、何もないことかもしれませんが始まりかもしれません。

人間界においては、何もしなければいつまでも「無」ですが、何かを思い立って行動したらそこから「有」が始まるのではないでしょうか。

口では、ああやこうやと言うだけの人はたくさんいますが、いつまでたっても「無」。

有言実行、言うならやるしかないですよね。

そして、続けること。

やめたら、また「無」になってしまうから。

「無」になるのはあっという間ですが、無から生み出した「有」を大きく大きくしていけるのは続けていくことだけ。

 

国会のつまらない口論はもういいでしょ。

汗かいて、黙々と一生懸命進んでいく人は美しいですね。

そんな人にならなければ。

 

今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

 



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