女子大生8人の6日間⑥ 今日は鈴木時代裂研究所で古代裂のお話し

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今日は鈴木時代裂研究所で古代裂のお話し

女子大生8人の6日間⑥ 他では体験できない特別文化研修

鈴木時代裂研究所

 

鈴木時代裂研究所は400年程前の名物裂(中国から舶載された染織品)と古渡更紗(印度)等の染織品を初代 繁太郎、先代 一,当代一弘と三代に亘って収集、研究、復原をしています。

名物裂・古渡更紗は大名や茶の湯の数寄者たちを魅了し、名物裂(茶入れの織物の袋裂)として大変珍重され、今も大切に遺されています。

古渡更紗(木綿生地に染色している)も茶の湯の世界で珍重されていました。

多くの芸術工芸は茶の湯との繋がりのお陰で遺されてきました。

渡来した更紗については1977年に「名物更紗類聚 鈴木一著」として出版。

名物裂は2007年に「名物裂事典 鈴木一著」として出版。

祖父 繁太郎は帝室博物館館蔵品と自身の収集品で構成された「印度更紗模様」を出版しました。

美しい染織品には、人に感動を与える力があります。その感動を伝えることができるならば幸甚です。

 

今日は鈴木一弘さんから古代裂のことについてお話を伺いました。

 

 

名物裂

金襴・緞子・間道

 

染織品には織物と染め物と刺繍があります。

名物裂は「古今名物類聚」18巻(松平不眜公:1797刊)の17冊・18冊目に名物裂の部があります。

その中で名物裂は、金襴・緞子・間道と分類されています。

金襴とは、きらきら光ってます。洋服でいうとタキシード。

緞子は二色でできています。洋服でいうとスーツですね。

間道は縦じま、ストライプの柄の裂のこと。洋服でいうとジーンズ。

 

(上から、金襴・緞子・間道です)

 

富田金襴

 

豊臣秀吉の家臣で利休に茶を学んだ富田左近将監知信所蔵の裂と伝えられています。

金糸で湧き上がる連雲(霊芝雲(れいしぐも)を斜めに大柄に織り出し、その隙間に宝尽しを細かく織り出した金襴をいいます。

袱紗ぐらいの大きさで、1715年、当時で2500万です。

お茶の世界では、茶入れが入っている袋、仕覆はこのような裂を切って作っています。

だから裂がとっても高いわけですね。

中身より外が高いわけです。

 

名物裂は200年前から

 

名物裂 かなり古いものという事ではないです。

名称がつけられたのは、茶の湯が始まって200年たったころです。

松平不昧公が初めて名物裂と書きました。

1797年以降の幕末に裂という字が使われました。

 

茶の湯

 

「わび・さび」となぜいうのか。

わび・さびの茶の前、鎌倉時代からは、書院茶・武家茶で武家が茶を楽しんでました。

町人が初めて茶会に招き入れられ、村田珠光・武野紹鴎らがでてきます。

その頃の武家茶は酒池肉林の茶会。

書院造りのお茶会は、こちらではお酒飲んでいる、こちらでは博打、あちらではコンパニオンと遊んでいる。

道具類は中国のモノ。

これは大名だからできることで、それなら町民は小さな茶室で一対一の小さい部屋で十分。

と、町民文化の茶文化、わび・さびを作っていきました。

 


(一生懸命、ノートを取っています。まじめな皆さんです。)

 

裂という言葉

 

お茶の世界で最初はきれ、切る、避けると字は変遷していきます。

綺麗という字から来た?とも。

中国では綺麗を「Chi Ri」といい、「美」を表します。

また、美しい衣服を綺羅「Chi Ro」、華やかな美しさをいいます。

 

「錦」という文字、染織品なので、糸へんでないとおかしいのにどうして金へん?

「白に巾、染織品、白布のこと、白布は金に値する、そのくらい高いから錦とする。」とのこと。

 

武家茶と公家茶、全然違います。

公家茶は桁が違う、

武家社会で茶の湯の世界で最高の裂は印金、羅の生地に金拍を貼っています。

36歌仙、源氏物語のような衣装を着た、36枚ある巻物1反が高すぎて一人では買えませんでした。

 


(この時間のために鈴木さんが用意してくださった古代裂を拝見。素晴らし品々です。)

 

刺繍の竹屋町

 

竹屋町は、織物の一つとされていましたが、父が刺繍と認めさせました。

昔の広辞苑でも織物でした。

竹屋町の名ですが、京都に竹屋町通りがあります。

丸太町から一本下、二条城の上の道が竹屋町通りです。

その昔、堀川を超えたあたりに、古田織部の家がありました。

織部は、名の通り、織物の権限が与えられていました。

織部は、紗の生地に金箔を縫う技術が日本の職人はできないので中国人を呼んできて織らせました。

その織物を金紗と言います。

金紗に緑、茶色を入れて作らせた裂を織部紗としました。

織部は徳川家康に一族郎党とも切腹させられます。

美濃の織部焼の窯もつぶされました。

織部に関係するものすべてつぶされました。

織部紗だけ残ったのですが、名前を竹屋町紗としたのでは、と思ってます

 

中国では、紗の生地に金箔を使った裂を金紗。

朝鮮では、紗に色糸を使った裂を縫紗。

両方使うと竹屋町と言います。

 


(ルーペを使って金紗の織りを確認中。見事な織りです。)

 

名物裂と古渡更紗

 

東インド会社、マレーシア、ヨーロッパ、中国のモノが集まってきて日本に入ってきます。

名物裂は鎌倉時代から入ってきてますが、分別されたのが200年ほど前です。

名物裂は全て中国のモノをいいます。

更紗とは、人物,鳥獣,植物など種々の模様を染織した裂のことです。

更紗が記載されるのは「ロンドンの日本古文書」1615年に「さらさ」と記載されています。

更紗の語源は、作られた場所ごとで名前がつけられています。

インド語で優れたもの、美しい織物を意味するサラーサ(Sarasa)という言葉があるので、そこから更紗と名がついたかもしれません。

 

古渡更紗とは、16世紀後半から17~18世紀にかけて、インドに於ける木綿布への染色技術を施したもの。

最初にこの更紗類のエキゾチックな文様や色彩(鮮やかな赤と藍)に魅力を感じ、優品を持ち帰ったのは、イギリス・ポルトガル・スペイン・オランダ・フランスなど西欧諸国の商船でした。

その後 好みに応じた構図のものを発注制作させるようになり、中国、日本もそれにならい、特徴のある構図のものも依頼し、制作されたものと考えられています。

このころ渡来した更紗を古渡更紗と言います。

古がつくと300年から400年前に渡ってきた更紗のことです。

 

 

ありがとうございました。

 

400年ほど前に日本に渡来した染織品。

それを春は古渡更紗、夏は竹屋町、秋は名物裂、そして冬は珍しい染織とコレクションルームをつくられて展示されてます。

茶入れも素晴らしいものがたくさんありますが、それよりも仕覆がとっても贅沢品とは。

贅を尽くした染織品の数々。

ここ鈴木時代裂研究所でしか見ることができません。

鈴木さん、お忙しい中、本当にありがとうございました。

 

最後に鈴木さんのお言葉から

「物を見る眼を養うためには、先ず本物を見ることが肝要です。裂の場合は織り方も、染め方も、作った人の名も、時代も教えてくれません。その裂を見分ける眼を養うお手伝いをするためのコレクション・ルームをつくり四季に分けて展示することにしました。」

みなさん、本物の裂を見に「鈴木時代裂研究所」へお越しくださいませ。

 

今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

日本の文化は本当に素敵ですね。

 



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