平安時代の日記をご紹介。現代の日記と昔の日記の違いとは?

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平安時代の日記を紹介、現代の日記と昔の日記の違いとは2

平安時代から鎌倉時代にかけて、日本では多くの日記が残されてきました。その時代の貴族たちは、どういった目的で、どのような日記を書いてきたのでしょうか。平安時代の貴族の日記から、現代における日記のあり方について考えてみましょう。

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一番盛んだったと思われる平安時代の日記文化とは?

日本では古くから日記という文化が生まれ、人々は日々の記録を紙に書き記し、後世まで読み親しまれてきました。平安時代から鎌倉時代にかけては特に多くの日記が残されています。文学性が濃いものも多く、それらは“日記文学”とも呼ばれ、我が国における重要な文学のひとつとして取り扱われています。

すっかりデータ社会となり、文字を書く機会も随分と減ってしまった現代ですが、平安時代に最も盛んであった日記文化とはどういったものであり、現代のそれと比べてどのように違うのでしょうか?
当時に描かれた有名な作品と共に、見ていきましょう。

有名な日記と平安貴族の日記文化をご紹介

日本の歴史の中でも、平安時代から鎌倉時代にかけては特に多くの日記が残されています。当時の日記とはどのようなものがあるのでしょうか。順にみていきましょう。

◆寛平御記(かんぴょうぎょき)
平安時代前期の宇多天皇の日記。現存する天皇の日記としては最も古いもので、「醍醐天皇御記」「村上天皇御記」とともに「三代御記」と呼ばれています。阿衡事件の顛末といった政治的な記載もある中、父である光孝天皇より譲られた黒猫のことなどといった、天皇の日常や感情を書き連ねた内容となっています。

◆貞信公記(ていしんこうき)
907年(延喜7年)~948年(天暦2年)、関白太政大臣藤原忠平の日記で現存するものは10巻。数少ない10世紀前半の日記としては貴重で、承平・天慶の乱を伝える史料となっています。

日記の原本は残っておらず、残されているのは長男・実頼が抄出した抄本であるため、ほかの日記に比べると朝廷儀礼の次第や、政務の手続き等の詳細な記述があまり見られないのも特徴です。

◆吏部王記(りぶおうき)
醍醐天皇第四皇子である重明親王の日記。平安時代の政務や朝廷の儀式に関する記述も多く、この時代の貴重な史料となっています。残された記録から、920年(延喜20年)から953年(天暦7年)までの記録ではないかといわれています。

◆九暦(きゅうれき)
平安時代中期の公卿、右大臣藤原師輔の日記。師輔が九条に住んでいたことから「九条右大臣記」などとも呼ばれます。父・藤原忠平の書いた日記「貞信公記」や上記「吏部王記」などとともに、この時代の政治情勢を知る上での貴重な史料となっています。

完全本は残されていませんが、930年(延長8年)頃から960年(天徳4年)に死去するまでの約30年間にわたるものであるとみられています。

◆土佐日記(とさにっき)
935年頃に成立した紀貫之による日記で、土佐の国から京に帰る旅路での出来事を、作者を女性に仮託して日記風に綴った作品。亡くなった愛娘を想う心情や、帰京をはやる想いなどを、ユーモアを交えて記されています。事件の継起に従う日記と異なる、このような様式は、以下の女流文学に継承されていきます。

◆蜻蛉日記(かげろうにっき)
藤原道綱の母による自伝的日記。954年(天歴8年)から974年(天延2年)の出来事が描かれ、藤原兼家との結婚、兼家のもうひとりの妻との競争、子である道綱への愛情などが綴られています。261首の和歌が納められているのも特徴。女流日記の先駆けとされ、後の源氏物語など多くの文学に影響を与えました。

◆小右記(しょうゆうき)
藤原実資による漢文で書かれた日記で全61巻。978年(天元1年)から1032年(長元5年)までが写本として伝えられ、平安時代中期の藤原道長・頼通時代の朝廷の動向や、朝廷儀式の次第などを最も詳しく伝える日記として知られています。

博識で教養に富んだ実資による記述は非常に広範囲にわたり詳細で、貴重な史料となっています。道長の「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」の歌も、実資の日記に書きとめられたものです。

◆権記(ごんき)
権大納言・藤原行成による日記で22巻。藤原道長の全盛期にあたり、同時代の「小右記」とともに、当時の政務運営の様子を把握するのにも貴重な一級史料となっています。991年(正暦2年)~1011年(寛弘8年)のものが伝存し、これに加え1026年(万寿3年)までの逸文が少しだけ残されています。

◆御堂関白記(みどうかんぱくき)
藤原道長の日記。現存するものでは998年(長徳4年)~1021年(治安元年)にわたり、道長の公私の生活を書き記したもの。独特な文体で、読み説くのに難解な部分も多いが、当時の貴族社会を知るための貴重な史料となっています。

◆後二条師通記(ごにじょうもろみちき)
関白・藤原師通による日記。一部内容に欠けはありますが、1083年(永保3年)から1099年(康和1年)までの記録とされています。内容は公私にわたりますが、朝廷の政務や儀式などについては特に詳細に記述されており、「中右記」とともに院政初期の政治や社会情勢を知るための基本史料となっています。

◆山槐記(さんかいき)
平安時代末期から鎌倉時代初期の公卿で内大臣をつとめた中山忠親による日記で、平氏の興隆から全盛、滅亡までの期間にあたる、1151年(仁平元年)から1194年(建久5年)までの40年間を綴ったもの。
独自の記事や詳細な内容も多く、重要な史料として扱われていいますが、欠失部分も多くなっています。

◆吉記(きっき)
平安時代末期の公家・吉田経房の日記で全22巻。朝廷の儀式や典礼に関することが詳しく記されています。1166年(仁安元年)から1193年(建久4年)までの記録とされますが、現存するのは断続的に13年分が残っているのみ。源平合戦(治承・寿永の乱)の時代を含む、貴重な史料といえます。

◆玉葉(ぎょくよう)
九条兼実の公私にわたる日記で、1164年(長寛2年)から1200年(正治2年)に書かれたものだとされています。院政から武家政治に政治体制が大きく変動した時期で、源平の争乱をはじめとした、当時の政治や社会情勢、朝廷内部の事情についても多く記載されています。

また、当時の公家の日記は宮中行事を後世に伝えていく目的で書かれてもおり、宮中の儀式の流れや所作などが詳細に記されているのも特徴です。

◆明月記(めいげつき)
藤原定家による日記で1180年(治承4年)から1235年(嘉禎元年)までの56年間にわたる記録。大部分が漢文で記されるため難解な部分も多いですが、歌人として名を残した定家の作歌活動や古典研究など文化的な記事をはじめ、政治情勢や世相・風俗もよく記されています。

◆讃岐典侍日記(さぬきのすけのにっき)
平安時代後期に堀河天皇とその子・鳥羽天皇に仕えた藤原長子による日記で、1107年(嘉承2年)の堀川天皇の発病から、翌1108年(天仁1年)末までの記録。上下2巻から成り、上巻は堀河天皇の看取りについて、下巻は鳥羽天皇についてとなっています。

天皇に仕える秘書的な役割にあたる典侍(ないしのすけ)という役職であった長子が、天皇を慕いながら看病を続けた日々と、その亡き後に、幼い鳥羽天皇に仕えながら堀河天皇を追慕する心情を描いています。

◆更級日記(さらしなにっき)
菅原孝標の次女菅原孝標女による回想録で、平安女流日記文学の代表作のひとつ。13歳であった少女時代に父の任国・上総から帰京する旅にはじまり、近親者との別離や死別、宮仕え、結婚、そして夫・橘俊通と死別するまでの約40年の回想。少女時代には「源氏物語」への強い憧憬を記しているのも特徴です。

◆春記(しゅんき)
藤原資房の日記で、平安時代の中期を代表する日記の一つ。当時の公家による日記の中でも、際立って具体性に富んだ内容で、政務や儀式の記録にとどまらず、人物評や世相への非難など、人間味に溢れた記述となっています。

◆平知信朝臣記(たいらのとものぶあそんき)
平安時代末期の官人・平知信による日記。藤原忠実・忠通の家司を務めた実務官吏であったことから、院政期の摂関家に関する記事が多く、当時の摂関家の動向を知るための史料としても貴重です。

◆紫式部日記(むらさきしきぶにっき)
紫式部による日記で、1008年(寛弘5年)秋から1010年(寛弘7年)正月までの、宮仕えを綴るもの。中宮彰子の出産を控えた藤原道長邸の描写に始まり、後一条天皇の誕生と、それに続く諸行事などが記述されています。

華やかな宮中の生活の描写のみならず、同時代の作家、和泉式部、赤染衛門、清少納言などへの批評や感想なども精細に書き記しています。

◆台記(たいき)
院政期の左大臣・藤原頼長による日記で1136年(保延2年)から1155(久寿2年)まで19年にわたる記録。自らが上卿を務めた、列見という当時の儀式について非常に具体的に伝える内容となっています。

◆清慎公記(せいしんこうき)
平安時代中期の関白・藤原実頼による日記。儀礼について深く研究をした実頼は、後に小野宮流と呼ばれる流派の祖となったが、その根本史料となる記述も多く、宮中の儀礼や慣習に関して詳しいものとなっています。

◆和泉式部日記(いずみしきぶにっき)
敦道親王との恋愛を綴った和泉式部による日記。敦道親王が亡くなった後の喪に服している期間(1008年・寛弘5年)に書かれたとされています。

平安時代を代表する歌人である和泉式部らしく、日記の中で和歌をやり取りする場面も多くみられます。作者は和泉式部本人とされる一方で、三人称的な記述であるため別に作者がいるのではないかという案もあります。

◆左経記(さけいき)
平安時代中期の貴族・源経頼の日記。1016年(長和5年)から1035年(長元8年)までの記録が残されています。

平安時代の摂関政治最盛期に弁官、蔵人、頭を歴任した経頼による記事は当時の政事について多く記しており、同時期に書かれた藤原実資の「小右記」と共に、この時期の重要な史料となっています。

◆中右記(ちゅうゆうき)
中御門右大臣・藤原宗忠の日記。1087年(寛治1年)から1138年(保延4年)に出家するまでのうち47年分が伝わっているが、原本は現存しません。朝廷儀式や政務に関することが詳細に記されており、後に貴族たちがそれらを学ぶ上でも貴重な筆録となっていたようです。

1120年時点で160巻にのぼっているという記述があることから、最終的には250巻程の膨大な分量であったと考えられます。

◆兵範記(へいはんき)
平安時代末期の公家・平信範による日記。藤原忠通・基実らに家司として仕えていたことから、当時の政府情勢や上級公家などの動きに詳しく、中でも保元の乱や高倉天皇即位に関する記事は詳細なものになっています。

◆永昌記(えいしょうき)
平安時代後期の公家・藤原為隆の日記で全10巻。1105年(長治2年)から1129年(大治4年)の間の記録であるとされていますが、欠けている部分も多くなっています。

堀河天皇、鳥羽天皇、崇徳天皇の3天皇時代における宮廷の行事等について詳しく記述しており、後世の有職故実の書として重んじられたようです。

◆安元御賀日記(あんげんおんがのにっき)
平安時代の歌人・藤原隆房の日記。1176年(安元2年)に、法住寺殿(法皇の御所)にて行われた後白河天皇の50歳の祝賀の儀式の様子が、3日間にわたり詳細に伝えられています。賀宴の次第にとどまらず、舞楽や管弦などの華やかな様子も窺える内容となっています。

平安時代の代表的な日記を紹介してきましたが、これらを見ていくと、多くの日記が大変長い年月をかけて書き記されてきたことがわかります。

当時の日記とは、儀式や政情を伝え残していくための、朝廷の公的記録として書かれたものでもありました。貴族たちにとって日記を残すことは、後世にものごとを伝え残していくためにも大切な仕事のひとつであったことが伺えます。

これが少しずつ、私的なことも書かれるようになり、人間味にあふれるものとなっていきます。さらには「土佐日記」を先駆けとして、女流作家による文学的な日記も出始め、日記は日々の記録に留まらず、内面的な深みを持つ、より文学的で幅広いものとなっていったのです。

日記をつけることのメリットとは?

現代の日本では、日記を紙面に書き記すという方も減ってしまいました。しかし、すっかりデータ社会となった今こそ、日記をつけることのメリットが見直されてきています。

その日起こったこと、感じたことを、思い起して文字にしてみることで、改めて自分と客観的に向き合う時間が生まれます。嬉しかったことや出来るようになったことなどを改めて文字にすることでと、気持ちが前向きになります。

また、日記を書くことによる精神的・感情的な効果は、数々のデータによって実証されています。起きた出来事を書き出すという作業は、ストレスマネジメントにも良いとされ、実際に臨床心理士などがセラピーにも活用しているそうです。

そして、日記は読み返すことにも醍醐味があります。過去の自分を振り返って、1年前はこんなことを考えていた、こんな失敗をしていたから、今年はもう少し早めに準備をしよう…等というように、過去と今の自分をリアルに比べて活かすことができるのです。

書くことは脳を活性化させ、認知症の予防や生活にメリハリを生むことにもつながります。

日記を飽きずに続けるためのポイントをご紹介

しかし一度書こう!と決めてもなかなか続かないのが日記というもの。そんな時は、少しの工夫を盛り込むことで、続けやすくなることもあります。

ひとつは、何か目的・目標を持ってつけてみること。例えばキャリアアップのための仕事の記録、夢に向かうための行動記録、子供の成長記録、読書や趣味、体重や美容の記録など…。必ずしも必要ではないかもしれませんが、今日は何を書こう…と一から考えるより、何かテーマがあるとぐっと続けやすくなります。

また、たとえ一度途切れたとしても、気にせずまた書き進めていきましょう。人間なので、疲れることも、忙しくて書けないこともあります。そんな時は少し休んでまた書き始めればいい!と考えると、気楽に続けることができます。

そして、定期的に読み返してみることも大切です。少し前の自分を振り返り、自分の成長ややってきたことを実感することは、続ける上でモチベーションアップにつながります。

さらには、日記帳そのものにこだわってみることも有効です。手に持った感じや装丁など…ぜひお気に入りの一冊を選んでみてください。

最後に

昨日までの自分が作り上げてきた、今日の自分というもの。日記は、自分という人間が今日に至るまでの記録であり、未来の自分への道標でもあるのです。
平安時代の貴族たちが、後世に今を刻み続けたように、今の自分が未来の自分、はたまた子や孫の世代まで、と残せることがあるかもしれません。まずは未来の自分のために、ぜひ日記習慣をはじめてみませんか。



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