葉室家 六字名号「南無阿弥陀仏」

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六字名号「南無阿弥陀仏」

こんにちは。

先ずは、お三方の紹介から。

・鐵牛道機(てつぎゅうどうき)寛永5年7月26日1628年8月25日) – 元禄13年8月20日1700年10月2日

浄住寺中興、黄檗宗開祖の隠元和尚の弟子。

 

・独湛性瑩(どくたんしょうえい)崇禎元年9月27日1628年10月23日) - 宝永3年1月26日1706年3月10日

黄檗山第四代

 

・薫譽寂仙(じゃくせん)正保元年(1644年)—宝永6年(1709年1月17日)

金戒光明寺三六世

 

 

なぜ、三人を紹介したかと言いますと、葉室山浄住寺は1687年(貞享4年)葉室頼孝の開基、黄檗宗の僧鉄牛道機を中興開山として再興され、本尊(釈迦牟尼仏坐像)が、この2月に松久宗琳仏所へご修復のため約330年ぶりにお立ちになりました。

 

 

ご修復の初めの時に、胎内から、巻物3点と南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)六字名号が出てきました。

この南無阿弥陀仏の六時名号を書かれたのが、黒谷金戒光明寺第36世の寂仙さんでした。

そして、ご本尊のお姿全てに南無阿弥陀仏が貼られていました。

何故?黄檗宗に「南無阿弥陀仏」

 

 

浄住寺が中興された同時期に黄檗宗住寺・独湛さんは、黄檗宗でも「念仏独湛」、「念仏の人」と称され、宗門内で最も禅浄双修を貫いた人として知られています。

 

 

ここからは勝手な想像ですが、三人とも同じ時代の人。

鐵牛さんと独湛さんは同じ黄檗宗で同門、寂仙さんも同時代。

寂仙さんの金戒光明寺は元々、葉室顕時卿の別荘地、二代目信空は顕時卿の孫。

そんな三人が、鐵牛さんが葉室頼孝卿と浄住寺を中興するときにお祝いとして、ご本尊を送ったのではないでしょか。

そんな想像から書きました。

 

 

胎内物の三つの巻物などについては知らべて何かわかればまた書きますね。

 

ありがとうございます。

南無阿弥陀仏

「南無」とは梵語のnamasからきており、「身命を捧げて服従し、おすがりします。」という意味を持ちます、と言われますが、阿弥陀仏は、大乗の世に君臨する方がそんなことを言ってるのでしょうか?

私は、もちろん苦しい時とか悲しい時には、「助けて下さい」というお願いの意味もあるでしょうが、楽しい時、嬉しい時の「南無」には「ありがとうございます」といった感謝の意味を持つのではないかと思います。

 

そして、阿弥陀仏と神さまは違うの?て思ってしまう私です。

日本は古来より神国、神の国であり、アジアの国々は古来、仏さま、阿弥陀仏と、目に見えない計り知れないものを神として仏として崇めてきたのではないでしょうか。

どちらも自分の力の及ばない力を崇めました。

この力が、ある時は自然の驚異として我々に教えを持って恐怖を与えることもありますし、また、ある時は、とっても小さなことかもしれませんが、目の前でささやかな幸せをプレゼントしてくれます。

私は仏教徒でも神徒でもありませんが、人間として目に見えない自分の力など及ばない力があると思ってます。

それらの力は決して、私たちを悪くしようとなど思っていません。

ただ、人間がいくら言っても(いろいろな形で表れて教えてくれてると思います)気がつかず、ただただ通り過ぎてしまい、自我のみを追及していると大きな天罰が下るのではと思います。

これからの時代、本当にこれからの時代、仏教や神道、キリスト教などそれぞれの宗教にとらわれる時代ではなく、この星のみんなが本当に大切なことを知り、目に見えない力に感謝していくことが大切ではないでしょうか。

そんな時が来ています。

そして、今、気がついていかないと取り返しのつかない時が来るのでは。

「南無阿弥陀仏」も結構です。

でも、私は、今のこの時代、「ありがとうございます」と口にいっぱい出したいと(心中でもいいですよ)思います。

そうだ、ご本尊の修復の最後に「ありがとうございます」をたくさん貼りたくなりました。

そんなことをご本尊は望まれてるのかも。

 

取り留めなくなりました、ごめんなさい。

最初の三人の話を書くだけのつもりでしたが、気がついたら・・・。

今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

 



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