日本道、伝統の美学  黎明塾7月より

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日本道、伝統の美学

こんにちは。

今日は、先日(7月22日(日))学びました黎明塾のお話から。

 

日本人は無宗教であるとよく言われます。

確かに多くの日本人は外国人の様な絶対的な信仰心というものを持たない民族であることは間違いありません。

しかし、それは既存の概念で宗教というものを捉えた場合のことであり、実は、日本人ほど本来の意味での本質的な宗教観を持った民族は世界中を見渡しても稀ではないかと思うのです。

こう述べると奇異に感じられる方もたくさんおられるでしょうが、実は今回のテーマである「日本道」というものこそが日本人の背骨であり、確立した宗教観なのです。

 

「日本道」とは

「日本道」これは昭和39年、明治維新100年を期して唱えられたものですが、この「日本道」には「日本文化や精神の全て」が含まれる言葉なのです。

西洋から見て、日本的なものとして「華道」「茶道」「書道」「香道」など多くの「道」があります。

その全ての「道」というものが実は「日本の魂」の原点であり、その伝統に培われた精神性こそが「日本道」なのです。

「華道」「茶道」「書道」「香道」それぞれの「道」の本質を知り、極めることによって、私達の祖先が信仰していた本当の意味での”神”の正体にたどりつくことが可能となるのです。

 

 

「日本道」を形成する諸道について

先に述べた「華道」「茶道」「書道」「歌道」「香道」等の日本古来の伝統的文化が集約されて「日本道」が成立するのですが、次にそれぞれの「道」がどのように日本人の背骨と成り得ているかについて述べます。

まず「華道」は、そもそも神事、仏事等を中心とした信仰の中から発生したものであることを識らねばなりません。

その信仰の源は”自然”というものに対する感謝と畏敬の念であります。

そして、宇宙という観念の中での自己というものの認識でもあります。

このことは室町時代中期(約500年前)に「華道」を大成した池坊専応の口伝の中でも明らかです。

専応はその口伝(池坊相伝の奥義)の中で、「花を立てるとは、野山、水辺の自然の姿を表し、花、葉を飾り、美しき型を基にひとつの世界をつくり出すことである」と伝え、ま「ただ単に花を活けて、部屋を飾り立て、美しさのみを楽しむものではなく、花を活けることによって、その人の心を表すことは何より大切である」とも述べています。

具体的には、花のそれぞれの枝に役割を持たせ、その組み合わせの妙の中にひとつの空間(宇宙)を表現することが「華道」の本義なのです。

そのため華道では活けた枝に動きがあることを先人達は”風がある”と表現しました。

これは、何よりの自然と密着した意識の現われに他なりません。

また専応は、その口伝で「花を活ける人は草木に心を託し、春秋の哀れを思って一身を楽しむだけでなく、花を散らし、葉を落とす風の前に悟りの境地に達することも出来るのだ」とも言っています。

これは立派な宗教観であり、哲学の世界でもあります。

花を活けるとは”美の追求”ではなく”心の追求”に他なりません。

また、嵯峨御流の奥義の中でも「華道」は花を通じて「陰陽五行」を表わすことであると伝えられています。

「陰陽五行」とは、この世の全ては木、火、土、金、水の五材と陰陽で成り立つとする太古からの宇宙観の哲理です。

為に未生流では、木=青(葉)・火=赤(実)・土=黄(枝)・金=白(花)・水=黒(水)の五色の配列をどのように表現するかが求められています。

そしてその五材の相生相剋を花を通じて表わし、そこにいかに宇宙を表現するかということが「華道」の本義となるのです。

 

 

ありがとうございます。

「道」とは何でしょうね。

白川静先生の字解によりますと、

「道」は、古い時代にほかの民族のいる土地は、その民族の霊や邪霊がいて災異をもたらすと考えられてたので、異族の人の首を手に持ち、その呪力(呪いの力)で邪霊を祓い清めて進みました。
その祓い清めて進むことを導(みちびく)といい、祓い清められたところを道といい、「みち」の意味に用います。
のちには道理(物事の当然のすじみち)のうように用い、わが国では芸ごとの専門分野の意味に用いるようになりました。
と、あります。

老子によれば、

「これが道だと説明できるようなものはないのだとか。
もし、そんなものがあるのだとしたら、「それは道ではない」のだといいます。
この言葉から分かるように、「道」とは、私たち人間の小賢しい知恵や言葉で表現できるようなものではありません。
それは形もなければ音もない。
何にも依存せず、何にも左右されず、ずーと変わらない。
そもそも、「道」すら仮のものであって、本当は名前すらない。
名づけることすらおこがましい・・・そういう崇高なもの。
しかし、それほどの実体のつかめない存在でありながら、「道」は万物の母であり、無限のエネルギーを秘めたものであります。
だからこそ、その「道」にしたがって、あるがままに生きることが大事なのだと、その「無為自然」な生き方こそが理想なのだと老子は説いています。

たかが「道」、されど「道」、難しい。

「日本道」からづれてしまいました、申し訳ない。

でも、一つのことを自分の腑に落とすには、「ん?」って思ったことを調べていくと・・・迷宮入りになってしまいます。

こんな毎日の私。困ったものです。

 

今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

「日本道」素晴らしい道を知ることによって日々笑顔あふれる毎日になりますように。

 



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