自然は至善、善に至る  人は自然に生かされています

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自然の語りに耳を傾けて

こんにちは。

お盆の中日、のんびりした朝、ゆっくりと芦屋川沿いを川涼みする鳥たちを眺めながらてくてくと。

豪雨のように荒れ狂うの濁流の日もあれば、「のんびり行こうぜ」と今日のような静かな流れ、自然はいつも語ってくれます。

そんな自然の語りも気がつかないで過ごす現代。

とってももったいないですね。

自然を意識すると多くのことを学べるのに。

今日はそんな自然の大切さを語っている藤原美津子さんのお話しより。

 

自然は至善

都会に住んでいると人工的なものに囲まれて、自然の息吹はほとんどありせんので、なかなか奥底に眠っている能力を目覚めさせることが出来ません。

人工的なものほど感性を養うことから遠ざかってしまうようです。

一時期、森林浴といわれたことがありますが、自然の中に居ること自体がとても大切なことです。

ですから小さい子どもの頃から自然に接していると、豊かな感性が育ちます。

ところが今、ほとんど自然と接する機会を失ってしまいました。

子どもの頃に山や川、あるいは海で遊んだ子は、知らず知らずに自然の感性が自分の中に入っているのかもしれません。

 

 

善に至る

 

自然とは、善に至るという「至善=自然」のことで、自然の中で育っていると、時々刻々と変化していくその自然の気が読めるようになるのです。

これは理屈ではありません。

実際にそこへ行って自分が体験しないと、味わえないものだと思います。

師が小学生の頃、瀬戸内海の海岸に出て、夕日が反対の広島とか山口の方に沈んでいく場面、瀬戸内海に映って綺麗な場面、茜色から日が沈んで行った後の本当に刻々と変わっていくそんな自然を見て子供心に「なんて素晴らしいのだろう。なんでこういう変化があるのだろう」と感心して日が沈み、暗くなるまでよくそこで海を見ていたそうです。

その美しさと感動の心というものを養うことが大切なのだと語ってくれたことがりありました。

私自身も、東京に住んでいるときには、師の話の半分も理解できませんでした。

しかし小田原の地に移り住み、水平線から昇る朝日、そして箱根の山々や富士山を茜色に染めて夕日が沈んでいく様を日々眺めている中で、いつの間にか気がついた事があります。

気がついたというよりも、自分の中の何かが反応した、といったほうが適切でしょうか。

自然は偉大な芸術家、そしてその命の鼓動の中で生かされている自分といった感動でした。

私達は自然の中に生かされているという謙虚さが必要であり、それが、生かされている事への恩返しに繋がっていくように思えます。

人の魂の力は、理屈ではない、自然とのふれあい、感動、魂に響いて目覚めていくものではないかと思います。

(本:「誰のために何のために あなたは生きますか」より 著:藤原美津子さん)

 

 

ありがとうございます。

平安時代の美意識を象徴する言葉に「もののあはれ(しみじみした情感)」があります。

この言葉をもつ世界を理解するかしないかが、教養人であるかないかの尺度になったほどです。

しかし、平安貴族たちは大方微細な心の動きを捉えることに鋭敏であり、そういう意味からは非常に感性的であったそうです。

それだけに趣味的でもあったといえましょう。

しぜん、事柄を情緒的にとらえる傾向が強くなりました。

自然と共に暮らしていたからでしょか。

朝焼けも夕焼けも自然のすばらしさを美ととらえ感じ合っていたのでしょう。

現代でも遊びからでもいいと思います、そんな自然のすばらしさを感じる旅に出てみたいですね。

お盆で帰省されてるなら都会で見れない風景を楽しんでくださいね。

 

今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

人は自然に生かされています、だからこそ、自然を大切に感謝していかなければ。

 



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