「当たり前」という想いが人生を台無しにする 御恩は雨のようにいっぱい降ってくるのに

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蟹座のアンタレスに「今日もありがとう」

こんにちは。

暑い暑い夏の夜空に輝く真っ赤な星は、蟹座のアンタレス。

夏の夜空で、こうこうと燃えてよこたわる蟹座の心臓です。

どれだけ遠い宇宙からの光なのでしょうね。

何万光年もかけて届いた光なのでしょうか。

当たり前に見ているいつもの星たち、実は長い長い年月を経て光を届けてくれています。

アンタレス、色が赤いほど、その年は豊作になるといわれます。

お酒を飲んで、酔っぱらっているみたいに赤いので、「酒酔星」という名前も、もっています。

今宵もアンタレスを見ながら、「今日も一日ありがとうございました」って、いっぱいの御恩に感謝の一言。

今日は、本願寺法王 大谷暢順さんの「「当たり前」という想いが人生を台無しにする」というお話しから。

 

たくさんの恩に生かされています

私たちはたくさんの恩によって生かされているわけですが、不幸なことに、現代人のほとんどは恩というものを感じていない気がします。

空気や食べ物はあって当たり前、人に何かしてもらっても別にありがたいとは思わない。
四恩のすべては、人間の当然の権利として享受できるものと思いこんでいる人も多いのではないでしょうか。

しかし、それは大きな心得違いです。
鈍感、無神経というのは、生きていく上で他人にとっても自分にとっても、もっとも悪いことだと私は思っています。

人間の社会では、国と国の間でも、個人と個人の間でも、意見の食い違いが必ずります。
こちらがいいと思っていることが、他社には通用しないということがちょくちょく起こります。
理解されないだけでなく、誤解されて、思ってもみなかった仕打ちにあうこともあります。
本当に人生は思い通りにいかないことばかりです。

ですから、自分にとって何か好ましい事態が発生したときは、それを当然であるとか、自分の主義主張が通ったのだとか、それだけの実力が自分にあるからだとか考えるのではなくて、幸運にめぐり会えたと喜ぶべきではないでしょうか。
つまり、恵みを得たと感じること、それをありがたく思うことが大事だと思うのです。

恥ずかしいことに、私も昔はずいぶん無神経でした。
子供ころ、「恩知らず」といわれたこともあります。
病弱だったので、まわりの人たちに大変世話になりましたが、そのころは、そうしてもらうことが当たり前だと思っていたのです。

 

 

(中略)
私以外にもそういう人は多いと思いますが、意識がなければその分だけ、人間は不幸せなのですよ。
人からいいことをしてもらっても、してもらって当たり前だと思っていると、そこに喜びが生まれないでしょう。

人から何かいいことをしてもらったら、ありがとう、という喜びがわき出してきて初めて、相手の好意が生きるわけですね。
私自身、若いころは無神経なことばかりしてきたな、と苦々しく思っていますので、若い人たちに今のうちから、ぜひとも人の行為を無にしないように気をつけていただきたいと願っています。

恩を感じることを「感恩」といいます。
また、仏の恩を「仏恩」といいますが、私はどんな恩の後ろにも必ず仏さまがいると思っています。

すべての恩は、仏さまから出ている。
仏さまは、私たちの幸せを願って、私たちにかぎりなくお慈悲を与えてくださっている、と感じずにはいられません。
蓮如上人の「御文」に「雨山(あめやま)の御恩」という言葉が繰り返し繰り返し出てきます。
雨と山くらい御恩は大きくふんだんにある、という意味です。

それくらいに潤沢な、尽きることのない御恩を、私たち衆生(しゅじょう)は阿弥陀仏から頂戴していると書かれています。

私たちは、生きているだけで、すでに得をしているのですよ。
努力しなくても、いろんなものをいただいて生かされている。
それを自覚しなければ、恩を持つことはできません。

まず雨山の御恩があること、そのおかげで私たちは生きてられるんだ、ということを知らなければいけないと思います。

無意識や無神経では、雨のように御恩がいっぱい降ってくるのを、私たちは受け取れない。
何億分の一しか、受けられません。
感じることができなければできないほど、せっかくの御恩をムダにしているということになるのです。

なんとももったいないことではありませんか。
(本「人間は死んでもまた生き続ける」著:大谷暢順さん)

 

 

ありがとうございます。

私たちは想像もできない「ご恩」に支えられて生きています。

「おかげさま」とは目に見えていないところで私を支え育んでくださっているはたらきということで、「ご恩」と置き換えてもいいのでは。

恩と言う字は原因の因という字の下に心という字を書きます。

現在を結果と見るときに、現在の自分を育ててくださった因(もと)を知る心です。

因という字は、口は布団を表し、中にある大の字は赤ちゃんが大の字に寝ている姿です。

多くの支えやはたらきによって包み込まれ安心して眠ることができているのです。

全く自分の気づかない、気づけないところで、私を慈しみ育んでくださっている縁(はたらき)を気づかせていただく、喜びの心こそが恩という字でした。

見えていないご恩によって支えられ生かされていると「よろこび」のうちに生きさせて頂くという思いが大切ですね。

 

今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

ご恩を大切にして、ありがとうございますと感謝する毎日でありますように。

 



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