別れる時「さようなら」となぜ言うのか? 「さよなら」は別れの言葉ではなかった

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当たり前のこと、考えてみたことありますか?

こんにちは。先日「あたりまえ」の反対は「ありがとう」と書きましたが、当たり前のことをどれだけ考えたことありますか。

私は、「空気がある」「川に水が流れる」「電気がつく」などなど、自然の何故と文明の何故はよく考えることがありますが、ことばと行動の何故は考えたことなかったです。

今日は古代民族研究所 大森亮尚(おおもりあきひさ)先生が書かれた「知っているようで知らない 日本人の謎20」にこのように書かれていました。

 

私たちが日常生活で何気なく遣っていることば—たとえば、食事の前の「いただきます」とか、別れる時の「さようなら」という挨拶のことばなどがどういう意味なのか、改めて深く考えることはないでしょう。
また普段当たり前のようにしている行動—たとえば、電車に乗ると座席の端を選んで座るとか、桜が咲くと花見に出かけるなど、なぜそうするのかと立ち止まって考えることもないでしょう。

でも一度、私たち日本人がなぜこんなことばを遣うのだろう、なぜこんなことをするのだろう、なぜこんな風に思ったり、考えたりするのだろうと立ち止まって考えてみると、当たり前だと思っていることが、実は日本人もよくわかっていないことに気がつくでしょう。
わかっているようで、わからない—それが自分であり、日本人なのです。

さて、今日はこの本のなかから「さようなら」は本当に別れの言葉?を一緒に考えてみませんか。

 

「さようなら」に別れの意味はありません

「さようなら」、略して「さよなら」は、今や世界中に広く行き渡るようになった日本語です。

ペルーの世界遺産マチュピチュの麓には「サヨナラ少年」がいて、日本人のみならず、世界中の観光客に、「サヨナラ、サヨナラ!」と呼びかけながら山から駆け下りてくることで知られています。
そうして彼が「グッバイ」や「アディオス」ではなく「サヨナラ」を選んだかその理由は残念ながら聞き忘れてしまいました。

「さようなら」は日本人の美しい別れの挨拶のことばです。
「さようなら」を別れの時に遺うのはなぜか?
「さようなら」ということばにはいったいどういう意味があるのか?

なにをいまさら当たり前のこと、とお叱りを受けそうですが、非難を覚悟の上であえて「さようなら」を取り上げてみたいと思います。
結論から言えば、「さようなら」ということば自体には本来、別れの意味は含まれていません。

もともと、「さようならば」という接続詞なのです。
前から続いていた話に一区切りをつけ、「それならば」「しからば」「そういうことでしたら」という結論へいたるための導入の接続詞です。
すなわち、「さようなら」だけでは別れの意味はなく、「さようならば」といったん話を打ち切って、「これにて失礼します」と挨拶後を述べるのが本来の正しい別れの挨拶のことばなのです。

最近ほとんど遺われなくなっていますが、「さらば」も同じです。
「それならば」「それでは」という意味の接続語です。
「さらば。いかがしたらよかろうか」などと昔は遺っていました。
「さようなら」を遺わなくて、「それでは」とか、「それじゃ」、あるいはもっと略して「では」と言って別れる人もいますが、それも同じ接続語から来たことばなのです。
「さらば」は卒業式などでよく合掌した「仰げば尊し」に「今こそわかれめ いざさらば」と末尾で「さらば」遺われています。
友との別れが「さらば」ということばで締めくくられる心地よさを味わったものです。
「さらば、友よ」—いい響きでしょ。

 

 

仰げば尊し・・・今こそわかれめ「仰げば尊し」の「今こそわかれめ」は?

「仰げば尊し」の歌が出たついでにちょっと寄り道をしますと、今もこの懐かしい歌が卒業式で歌われていると思いますが、「今こそわかれめ」というフレーズの「わかれ・め」の「め」を「わかれ目」、つまり別れる時、別れ際、境目だと誤解している人が多いのではないかと思います。

古典文法が古臭いものと思われ、だれも真面目に勉強しなくなったせいかもしれませんが、この「わかれめ」は、その前の「今」に「こそ」という係助詞がつくことによって、「係り結び」という法則が成立し、「わかれむ」の「む」という希望の助動詞の已然形の「め」に接続し、強調されて、「今こそわかれめ」が「今別れる時だ」というのではなく「さあ今別れよう」という希望や強い意志を伴った呼びかけになるのです。

昨今、卒業式が単に次の世界への一区切りとしてクールに処理されるため、「今こそわかれめ」が「別れの際」のように思われてしまったのでしょう。
本当はともに過ごした学び舎から別れて、さあ皆、今日で別れて、次なる世界へ飛び出して行こう—という、気合を入れる唱歌だったことを再確認していただけたら幸いです。

 

ありがとうございます。

日常生活で当たり前のこと、無意識にしていること、なんでもないことなどを改めて立ち止まって考えてみましょう。
そしてなぜ自分はこんなことを言うのだろう、なぜこんなことをするのだろうと、足元を見つめなおしてみる。
そういう時間を持つことが今の日本や日本人には必要になってきているのではないでしょうか。

「自分とは何か」「自分とは何者なのか」—それを考え直すことが「日本人とは何か」を考えることにつながっていきます。
「自分とは何か」を問う。
英語で言えば「アイデンティティの確立」ということでしょうか。
自分の立っている足元を見つめ直し、その足元がどんな土壌なのかを興味を持って調べて掘り進めてみる。
そうするととんでもない泉が湧き出てきたり、素晴らしい鉱脈が発掘されることもあるかもしれません。
「なんでもない」と思っていたことが、一皮めくると実は「とんでもない」ことだとわかることもあるかもしれません。

 

今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

あたりまえのこと、なんでもないこと、でもとっても大切なことがいっぱいあるのですね。
本当に今の世の中、「ありがとう」って感謝する心がなくなってしまってます。
いつもいつも、たくさんたくさん、「ありがとう」って言える、思える自分になりたい!

 

 

「知っているようで知らない  日本人の謎20」著:大森亮尚さん

 

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