八百万の神たちと 伝統と慣わしから学ぶ日本人の霊性

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伝統と慣わしから学ぶ日本人の霊性

こんにちは。

今日は9月の黎明塾、中山さんのお話しです。
日本の伝統と習わし。
普段何気なく行っていることのなかにも色々と伝統と習わしがあります。
また、知ってるって聞かれて、知っているようでちゃんと知らないこともたくさん。
そんな伝統と習わしを改めて見直してみるのもいいですね。

自然に守られ自然に感謝し自然そのものを神としてきました

戦後、驚異的な復興をとげ、世界に冠たる経済大国になった日本。
ひたすら生活の快適性を追い求め合理的に、そして、利便性を追求してきました。
その一方で、それまで大切に育み、受け継いできたさまざまな伝統を置き去りにしてしまった面があるのも、また事実でしょう。

そもそも日本は、農耕を主たる生業とし、四季の自然にも恵まれていたため、季節の移り変わりを非常に大切にしてきました。
私たちはその自然に守られ、自然に感謝すること、自然そのものを神として受けとめていました。
そして、その節目節目の中に、さまざまな行事を執り行い、自分たちの祖先に深く感謝し、代々の繁栄を祈ってきたのです。
そのような中から生まれた年中行事やしきたりは、日本人が長い歴史の中で培ってきた、まさに、日本人ならではの知恵であり、豊かな人生観の表れでもあったのです。
その事が日本人の背骨として日本人の霊性を高める、という結果になったと言っても過言ではないでしょう。

旧暦(季節を目安とした日本人ならではの暦)

現在、私たちは太陽の公転にもとづく新暦(太陽暦)を使用していますが、かつては古代中国から伝わったとされる旧暦を用いていました。
旧暦とは月の満ち欠けをひと月とする太陰暦で、ちなみに旧暦では新月がその月の一日で、十五日が満月に当たるようになっています。
しかし、月の満ち欠けの周期は約二十九日ですがら、太陽の公転による季節の変化とはズレが生じ、農作業をするうえで不便さが生じました。
そのズレを埋めるために、太陽の一回帰年を二十四等分した「二十四節季」と呼ばれる季節の区分が加えられるようになりました。
つまり旧暦とは太陰暦を基本に、太陽暦の要素も取り入れた太陽太陰暦なのです。
しかし、旧暦では立春を新年としていたため、現在の暦とは約一カ月のズレが生じています。

八百万の神

日本人は森羅万象、あらゆるものに神を見出してきました。
俗に八百万の神というように、日、月、星、風に神の名をつけ、土地、山、川、そして一木一草、また、家の台所からかまど、厠までさまざまな神がいらっしゃいます。
そもそも太古の日本では、あらゆる自然物に霊魂を感じ、それを畏怖し、崇拝するアニミズムと呼ばれる原初の信仰が生まれました。
倭民族が弥生文化によって農耕生活へと変わっていく中で、人間の力の及ばない自然現象は、大きな畏れの対象でした。
それらを神の怒りと考えたのも無理からぬことでした。
そこから、あらゆる自然の営みに神を見いだし、崇めるという思いが強まったのです。
また、農耕社会で定住生活が始まると、土地に対する信仰も強まり、自分たちが生まれた土地を守っている神を産土神と崇め、産土神を祀る社を作るようになってきました。
そのなかでも伊勢神宮と出雲大社は別格とされています。
現在の日本には神道と仏教が共存しています。
もともと神道は太古から日本固有の神への信仰に由来するのに対し、仏教は大陸から伝来した宗教です。
しかし、そんな中でも日本古来の神への信仰は廃れることなく、仏教と共存してきました。
そして、奈良時代以降、神仏は本来同じものであるとする「神仏習合」や神は仏が仮に形を変えてこの世に現れたものとする「本地垂迹(ほんちすいじゃく)説」など、両者の融合をはかる思想が生まれてきました。
さらに、平安時代にはそれまで国家鎮護が主だった仏教が次第に民衆と結びつき、神も仏も尊ぶという日本ならではの信仰が形成されてきました。
明治時代以降、神仏分離令でこの神仏混淆(しんぶつこんこう)の思想は禁止されますが、いまなお神への信仰と仏教が融合した習俗は多く残っています。
例えば、お彼岸やお盆はもともと仏教の行事ですが、そこには日本古来の祖先神への信仰が結びついたからこそ広がった習慣でもあります。

一般社団法人 和の道黎明会 理事長 中山貴英

あありがとうございます。

黎明塾は基本的に毎月第四日曜日、13時半より難波神社で行っています。
3月、6月、9月、12月は「和の学び 黎明会」を催しています。
詳細は一般社団法人 和の道黎明会 のHPをご覧ください。



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