「売茶翁」 江戸中期、京都文化の中心にいた畸人

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高遊外売茶翁顕彰会の川本喜美子さん

こんにちは。

私が今、会いたくてしょうがない人。
でももう亡くなってますので、学びたい人。
肥前佐賀が生んだ江戸時代の畸人(きじん)「売茶翁」。

先日、思い立ったが吉日、佐賀へ行ってきました。
そして、高遊外売茶翁顕彰会の川本喜美子さんいお会いすることができました。
事前に連絡することなく飛び込みなのに、ご丁寧なおもてなしをいただきお話をいっぱい伺うことができました。

その節は本当にありがとうございました。

そこでいただきました、「売茶翁読本」。
その中から売茶翁のことたくさん学べます。
このお話を何回かにわけてご紹介できたらと思っています。
先ずは、売茶翁の生まれから還暦まで、京都へ移り住むまでのお話をお楽しみください。

 

佐賀藩鍋島と言えば「葉隠」の山本常朝と売茶翁

佐賀藩、鍋島と言えば「葉隠」を思い浮かべる方が多いと思います。
しかし、「葉隠」を伝えた山本常朝(1659-1719)と同時期に、佐賀から売茶翁(1675-1763)が出ています。
時代は江戸中期。
乱世が終わり、緩んだ武士の規律を正すために武士の心構えを説き、「葉隠」を残した山本常朝。

一方、売茶翁は京都に上り、うかうかと眠り呆けている人の、眼を覚ませたいと、「茶銭は黄金百鎰(ひゃくいつ)より半文銭まではくれ次第、ただで呑みも勝手、ただよりはまけ申さず」と、「士農工商」という身分制度の中で、卑しいとされる茶売りをし、禅を説いた人物です。

二人の舞台は、佐賀と京都と異なりますが、それぞれに、人の道をあらわし、人々に大きな影響を与えた人物として共通しているように思えます。

売茶翁は茶人の世界では、煎茶の祖として、現在は祀られていますが、一般にはほとんど忘れ去られようとしています。
しかし、実は、江戸中期の京都文化の中心に座り、京都文化の方向性まで変えたのではと、言われている歴史上の人物です。

 


(龍津寺の参道、奥は昔、本堂などがあったと思われます。今は寂しいですね。)

売茶翁は延宝3年、肥前蓮池生まれ

売茶翁は1675(延宝3年)、肥前蓮池に生まれました。
父は、佐賀蓮池支藩に仕える藩医で芝山杢乃進常名(もくのしんつねな)といい、その三男として誕生。
幼名は菊泉です。
1686(貞享3)年、12歳のときに蓮池の龍津寺の化霖道竜(けりんどうりゅう)について得度し、僧名は月海元照(げっかいげんしょう)となりました。

1687年に、化霖は師である独湛禅師の還暦の祝いに呼ばれ、氏の萬福寺に上がることになりました。
月海も化霖に伴います。
わずか13歳の時でした。
月海は年少の為に禅堂には入ることなどできませんが、後日、独湛禅師に特別に面会を許され「偈(げ)」(漢詩による仏教の教え)を与えられたと伝えられています。
これは非常に珍しいことで、月海が幼い時から英才であったことを物語るものと言えるでしょう。

当時、中国から、禅と共に伝わっれ来る文化は、日本に大きな影響を与えました。
月海も、中国渡来の黄檗宗萬福寺で直々に教えを受け、多くの知識や文化を学ぶことになったことは想像に難しくありません。
月海が13歳で受けた萬福寺でのカルチャーショックは、その後の人生に大きな影響を与えました。

翌年、師と共に蓮池龍津寺に帰り、寺の業務や修行に励みます。
しかし、1696(元禄9)年、22歳の時に体調を崩し、修行の足りなさを恥じて、江戸、近江、先代、福岡の雷山などへの修行の旅に出ます。
再度、萬福寺を訪れ、33歳までは京都で過ごしています。
このように佐賀を離れた修行の旅の中で、多くのものを会得し、人脈も広がりを見せていきます。
佐賀の龍津寺を拠点に、諸国を回り修行と学問を積み重ねていったようです。

 

京へ

1720(享保5)年、体調を崩していた化霖が、月海の手厚い看病の甲斐もなく亡くなります。
当然、寺を継ぐと思われていた月海は、龍津寺を継ぐことを強く拒みます。
それは、30年の修行の中で培い、芽生えた、禅僧として、真の生き方を究めたかったからではないでしょうか。
大潮(弟弟子)に龍津寺を任せた月海元照はその年に、寺を出て東に向かいます。
それからの消息には諸説があり定かではありませんが、1730(享保15)年には、大阪の難波、天王寺村にいたようです。
その後、京都の町に「春は花によしあり、秋は紅葉に、をかしき所を求めて、自ら茶具を担いて至り、席を設けて客を待つ」(近世畸人伝)と、月海の京の街中で茶を売る姿が描かれています。
還暦のころには「落下風流の徒、よろこび、そこに集う」とあります。

 

 

ありがとうございます。

今日は売茶翁の還暦(私と同じ年ですね)までの生い立ちです。
ここから京都で名を残すような、そして文化をつくっていく人生を送るわけですね。
そのお話は次回に。
お楽しみに。

 



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