「やまと心」 古来から大切にしてきました

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古来から大切にしてきた「やまと心」

こんにちは。

今日は七十二候「桜始めて開く(さくらはじめてひらく)」です。
そろそろ桜が咲くころ。
古来、人は桜を愛で、数々の歌を詠んできました。

いまやお花見の桜といえば、染井吉野がほとんどですが、実は比較的新しい品種で江戸時代につくられたものです。
それ以前は桜といえば、山あいにほんのり咲く山桜のことでした。
花は一重で、紅を帯びています。
吉野山の山桜がつとに有名で、歌に多く詠まれていますね。

今日は、古来から大切にしてきた「やまと心」のお話を出口光さんのご本「幸せになる言葉 幸せにする言葉」より。

 

やまと心は争わない心

慌ただしい現代社会に生きる私たちは、「ライバルに勝とう」「良い情報は渡さない」「まずは自分の幸せが先だ」などというふうに、他者を競争相手と見てしまい、心の余裕を失って、ギスギスしてしまいがちです。

そんな中で競争意識を持たず、あなたが「包み込む心」を乗せて言葉を発すれば、相手はどれだけの安らぎを得られるでしょうか。
そして、相手が「包み込まれている」という感覚であなたに接するなら、素晴らしいひとときを過ごせるのではないでしょうか。
やまと心には、「争わないで、包み込もうとする心」があり、伝統的に「和魂(にぎみたま)」と言います。

 

「無敵」とは「敵がいない」こと

あなたは伊勢神宮に行ったことがありますか。
天照大御神を祀り、毎年一千万人以上がお参りする、日本を代表する神社です。
その本殿には、天照大御神の「和魂」をお祀りしています。
「和魂」を持っている人は無敵です。
なぜなら、決して争わないからです。

無敵というのは「力が強い」のではなく「敵がいない」ということなのです。

たとえば、日本固有の文化である、柔道や剣道、弓道などを総称する「武道」の「武」という文字も、実は「争わない心」を示しています。
「武」は「矛(ほこ)」という漢字と「止」という漢字が組み合わさったものです。
つまり矛を止めると書くのです。
「武道」の本当の意味は、「戦わない道」なのです。

いつでも平和を守るために戦う強い意志はあるけれど、戦わないのが最高のあり方だと示している言葉なのです。
そのほかにも日本には、「争わない心」を表す次のような「やまとことば」があります。

「なごむ」
緊張がほぐれ、気持ちがやわらぎ、穏やかな状態になることです。
「あなたの優しい笑顔に、心がなごみました」などと使います。
ちょっと「なごむ」と口に出してみてください。
本当に心が優しくなりませんか。

「やわらげる」
「男女のなかをもやはらげ」とい文、これは、「穏やかになるようにする」という意味です。

「ほどほどに」
ものごとの限界を超えない、ちょうど良い加減であることです。
「遊びもほどほどにしなさいね」などと使い、何事も行き過ぎてはいけないということ。
控えめな気持ちを表しています。

「ほどよい」
ちょうど良い、ぐあいが良いことです。
「ほどよい味付けだね」「ほどよい頃合いだ」などと使います。
数値では表せないものを伝える絶妙な表現ですね。

「潮時」
ものごとを始めたり、終えたりするのにちょうど良い時期のことです。
「潮時を待とう」などと使います。
月との関係で、海には「満潮」と「干潮」があります。
干潮の時に船で海に出ていき、満潮の時に戻ってくれば、苦労が少なくてすみますね。
私たちの祖先が自然とともに生きてきたらこそ、できた言葉ですね。

 

ありがとうございます。

「想い」というのは「相」と「心」ですね。
これは相手のこと、相手の心を表しています。
普通の「思う」は、ただ自分が思うだけですが、「想う」と言った時には、相手の心まで考えているわけです。
相手のことを想いやることで、気持ちを共有できます。
相手もあなたのことを想いやることで、二入は一体となります。

つまり「あなたは私、私はあなた」であり、自分の肉体を超えて、相手と一体となることができるのです。

現代人は物質的にはとても豊かになりました。
しかし、もう私たちは、お金や地位を得ても心は満たされなくなってきています。
そんな世界の中で、もう一度日本語を見直しえみませんか。

 

今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
主語あまり使わない日本語、そこには相手のことを考えてしまう日本人のこころがあるからです。

 

参考:本「幸せになる言葉 幸せにすることば」著:出口光さん



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