新元号「令和」 元号ってなんですか? 

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新元号「令和」

こんにちは。

新しい元号が「令和(れいわ)」に決まりましたね。

出典は万葉集。
645年の「大化」から現在の「平成」」まで計247の元号すべてが中国の古典を典拠としてきた元号の歴史に、初めて日本の国書(古書)由来の元号が登場することになった意義は大きく、心から歓迎したいです。

奈良時代に編纂された我が国最古の歌集である万葉集には、天皇や皇族、貴族のほか、防人や農民かで幅広い階層の人々が詠んだ詩が収められています。

安倍首相は談話で、万葉集を「わが国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書」とした上で、「明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる。そうした日本でありたい」と新元号にかける新元号にかける思いを述べられました。
「令和」の新時代が夢多き時代となるように祈りたいです。
(文:産経新聞 2019.04.02 「正論」日本財団会長 笹川陽平さんのことば)

5月1日の皇太子さまの即位とともに改元が行われ、平成から次の時代へと移ります。
これまで日本史の中で、1300年以上にわたり247の元号が定められてきました。
現代の世界で、元号制度を保ち続けているのは日本のみ。
時代を区切り、連続性の中で過去と現在をつなぐ役割を果たしている元号の歴史と、そこに込められている思いとはなんでしょうか。

 

元号と歴史と思い

日本初の元号は飛鳥時代、皇極天皇4(645)年に制定された「大化」です。
大化の改新の直後、天皇の譲位を機に定められ、人心を一新して中国・唐にならった新国家建設へと進む象徴となりました。

元号の起源は古代中国で、前漢の武帝(在位紀元前141~同87年)が定めた「建元」。
君主が時間をも秩序付ける高度な中央集権国家の証となる制度で、歴代中国王朝をはじめ日本や朝鮮、ベトナムなど漢字文化圏で受け継がれてきました。

日本の元号も「書経「易経」など中国古典を出典とし、原則的に漢字2文字。
ただ奈良時代の「天平感宝」から「神護景雲」までの5元号は例外的に4文字で、唐王朝での先例にならったとされる。
元号候補を考えるのは律令制の役職「文章(もんじょう)博士」の仕事で、鎌倉時代以降、幕末までの考案者はほとんど菅原氏で占められていました。

 

改元理由はさまざま

明治以降の元号は、天皇の代替わりの時にのみ変わる「一世一元」。
しかし、前近代では代替わりの際以外にも主に3つの理由で改元が行われてきました。

奈良時代によくみられたのが、めでたい事物の出現を機会にした「祥瑞(しょうずい)改元」。
逆に、天変地異や疫病、火災などの凶事を断ち切りたいとの願いを込めた「災異改元」もあり、江戸時代まで行われていました。
ほか干支でそれぞれ60年に一度回ってくる辛酉(しんゆう)、甲子(かっし)の年に起こるとされた政変を避けるための「改年改元」も慣例となっていました。

 

現在はどう決まるのか

現在の元号は、昭和54年に成立した元号法によって決められます。
平成は政府が定めた初の元号です。

元号法公布後に政府がまとめた「元号選定手続について」によると、内閣の委嘱を受けた学識者らがそれぞれ複数の候補を提出し、官房長官らが数個に絞り込みます。
その後、全閣僚会議や衆参両院議長らの意見聴取などを経て、最終的に政令として決定される。

元号選定の留意事項としては、「国民の理想としてふさわしいよい意味を持つ」「漢字2字で、書きやすく読みやすい」「俗用されていない」のほか、これまでに元号やおくり名(追号)で使用されたことがまいことが挙げられています。

前回の代替わりの際は現陛下の即位直後に開かれた有識者懇談会で「平成」「修文」「正化」の3案が示され、閣議を経て平成に決まりました。
アルファベット表記での頭文字が明治、大正、昭和と重なていないことが大きな理由だったといいます。
平成の考案者は山本達郎・東大名誉教授(平成13年死去)とされてます。

 

元号の意義

元号に意義は、まず連続性です。
元号がずっと続いているということ自体が、われわれが歴史の連続性の中に生きていることを国民に気づかせる、それが一番大きな役割だと思います。

元号は本来、天皇の治世だということを民に再確認させるのが目的でした。
昔は一世一元ではないので、天変地異など凶事のたびに改元して、人心一新を図ってみました。
そうした経緯はありますが、現在では1300年以上にわたり継続してきたことそのものが意義になっています。

元号は一国の独立の象徴でもあります。
その意味では昭和の敗戦後が最も危うい時期でした。
しかし天皇が国民の象徴として残り、元号も法的な裏付けはないまま慣習として存続し、後に法制化されました。

日本史研究者の立場から言えば、元号は非常に便利なものです。
歴史事象に名称をつけやすい。
たとえば享保の改革にしても、1716年の改革と言ってもピンとこないでしょう。
加えて元号を使った場合、享保年間というある程度年数の幅を持たせた時間を表現できます。
その時代を象徴する言葉として便利です。

お寺の名前など、元号を冠したものが多いわけで、今も使い続けることによって、歴史の中の名称を身近に理解できるわけです。
それに、世界の中ですでに日本だけの伝統になっているものを残すことに意味があると思います。
これだけ長く続いてきたものを、なくすということはなかなかできることではありません。

元号の出典はこれまで漢籍ばかりでしたが、日本の古典に求めるべきではという意見もありますね。
日本の古典から取れば日本の伝統になるかというと必ずしもそうではありません。
漢字2文字で付けるという元号制定手続きの縛りがありますので、六国史のような日本の歴史を書いた漢文の書物から取ることになるのでしょうが、漢文で書かれた日本の古典というのは基本的に中国の文化的影響下にあるわけですから。

元号についてはかつて論争もありましたが、今後は政治的な意味を持たず、日本的伝統としてなじんでいくのではないでしょうか。
次の元号も、今の平和な世の中が長く続くような願いを込めたものになるでしょうし、またそうなればいいなと思います。
(文:産経新聞2019.04.01 東大史料編纂所教授 山本博文さんのことば)

 

ありがとうございます。

これまで元号で使われた漢字は延べ504文字。
しかし重複も多く、それを除くと実際に用いられた感じはたった72文字になります。

「日本年号史大辞典」(所功編著、雄山閣)によると、そのうち最多は「永」で29回。
2位が「元」と「天」で各27回。
続いて「治」21回、「応」20回という順位になります。
平成の場合、「平」は通算12回目ですが、意外なことに「成」は元号として初の使用でした。

元号の出典はこれまですべて中国古典(漢籍)。
「日本年号大字観」(森本角蔵著 昭和8年刊)などによると、最多の典拠は「書経」で36回。
次いで「易経」27回。
平成は「史記」と「書経」が出典です。

限られた出典の中からよい意味の部分を選んで2文字を引用する制約上、過去の未採用案と重複する元号も少なくない。
近代以降の場合、「平成」は2回目、「明治」は11回目の候補でようやく採用に至りました。

逆に落選回数が最も多い未採用案は、「日本年号史大辞典」によると「嘉徳」で40回。
「寛安」33回がこれに次ぐそうです。

(文:産経新聞 2019.04.01より)

 

万葉集の32首序文である「梅の花」から引用。

于時初春令月 氣淑風和梅披鏡前之粉
初春令月 木淑和風 梅鏡前粉之披 欄珮後香

初春の礼月にして、気淑(よ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香(かう)を薫(かおら)す。

時は初春の良き月、空気は美しく風も和やかで、梅は鏡前で装うように白く咲き、蘭は身に帯びた香りのように香っている。

「令月」とは、何事をするにもよい月、めでたい月のことで、陰暦2月の異称です。
陰暦2月は新暦2月末から4月初めのこと。

今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございます。
新元号「令和」、みなさまはいかがな感想をお持ちでしょうか。



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