「今様白拍子」 日本今様謌舞楽会  和の素敵なひとたち  

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今様白拍子

こんにちは。

この週末はもちろん「お花見」でしたよね。
はだかだった枝に、新しい芽がぷくっと膨らんだと思ったら、あっという間に葉がもりもり出てきてパッと花が満開。
もしかしたら花が開く瞬間を見られたり。

私たち日本人にとって「花見」の「花」といえばもちろん桜。
世界的に見ても桜でお花見をするのは日本だけだそうです。
わずか1週間ほどではかなく散っていく潔さを美しいと感じるのは日本人ならではの感覚のように思います。

お花見は、古くは平安時代の貴族が桜を愛でながら歌を詠んだり蹴鞠をした行事が始まりです。
次第に農民の間でもその年の豊作を願って桜の下で宴をおこなうようになったといわれています。

今日はその平安時代のお花見の時に舞われ遊ばれていたであろう「今様白拍子」のお話し。

 

今様とは

今様は今からおよそ800有余年前、平安時代後期、京の都で大流行した歌謡です。
当時、宮中音楽は「神楽」や漢詩に曲をつけた「朗詠」、催馬楽(さいばら)、田楽などにつづいて当時大変今風であったことから「今様」と呼ばれるようになりました。
このころは紫式部や清少納言のころで、彼女たちの随筆にも「今様歌」という言葉ででてきます。

今様の歌詞は七五調で4回繰り返して1つの歌となります。
この形は近代まで受け継がれていて「荒城の月」や「蛍の光」などが同じ形ですからこれらの歌のリズムをイメージしてっみてください。
伴奏は主に鼓だったようで、白拍子や遊女など女性がそれに合わせて舞ったりもしました。
源義経の妻だった静御前は白拍子でした。

白拍子とは各地を巡遊する芸能の民で、白い装束に男の烏帽子をつけるという独特の男装スタイルで今様を舞い踊りました。
この頃は女性が男装をすることが当世風でした。

身分の上下をとわず広く流行し歌われ、時の後白河院は世にもまれな今様の熱愛家であられたことは有名です。
今様の歌謡集「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)」は後白河院によって編集されました。
「遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん」で始まる歌曲を一度は耳にしたことないですか。

今様合とは左方、右方にわかれ各々が今様を詠み歌い、左右の歌や声に優劣をつけたことです。
今様をこよなく愛した後白河院は今様合わせの歌会を催しました。
30人の公卿が二手に分かれて一晩で15番勝負するのを15日間も続けたそうです。

 

ありがとうございます。

先日、日本今様謌舞楽会の二代目家元 石原さつきさまとご縁をいただきました。
神楽を調べていくと白拍子へと。
白拍子とはどんな人たち、今様とはどんな謌と思っていた時でした。

平安期の流行歌であり800年の長きに亘り私共の心の底を流れ続け、現代の演歌として親しまれてきました。
その人生の機微をうたいあげる調べは、心の琴線と共鳴し日本人の生き方に潤いある豊かさを与え続けてきました。
しかし今、我々の生き方から抒情性が消えつつあります。
それが現在を生きる我々から、したたるような潤いをなくさせているように思えてなりません。
そのように考えるとき、情感を大切にしてきた「今様合」の存在は誠に大きく意義深いものと考えられます。
(日本今様伝統芸能推進の会 会長 伊藤謙介(元京セラ会長))

 

今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
桜満開、わずかな時間で散っていく桜、人の一生もわずかなものかもしれません。でも短いかもしれない時間を今様に生きていいきたいものです。

 

参考
日本今様謌舞楽会 HP
歴人マガジン HP
白拍子研究所 HP

写真:日本今様謌舞楽会 HPより



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