にほんのお稽古ごと
稽古照今(けいこしょうこん)
こんにちは。
最近素敵なご縁をいっぱいいただき、いろいろな和のお稽古、学校いや塾かな、楽しく学べる場を作りましょうと話がはずんでます。
日本の習い事は古くからお稽古事と言っていましたが、最近は稽古と言わないで練習という言葉を使う若者が増えてきましたね。
さて、「稽古」ということばをひもといてみれば、実は古事記の序文からきているのです。
そこに「稽古照今」の文字があり、返り点を打って、古(いにしえ)を考えて今を照らす。
「稽」は考えるという意味をもっています。
ゆえに「稽古」は「古を考える」ということ。
即ち過去の古い智慧を勉強して今に役立てる、という意味から使われてきたのです。
昔のことを調べて考え、今をどうするべきなのかを正しく知るということを「稽古」と呼びました。
ありがとうを世界中に
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道(どう)とは神さまに近づく道
日本の習い事には花道、歌道、香道、茶道、武道というように、道という字がついていますが、これは何の道と思われますか。
神さまに近づく道なのです。
習い事を通じて、奥深い真理を探究し、自己の奥に隠れている魂を磨くのです。
一歩でも神さまの御心に近づくための道なのです。
したがって我が国の習い事は技もさることながら、内面を磨くことに重点がおかれています。
外国では格闘技のように、力の強いものが優勝し、弓の競技では多くの的を射た者が一番となります。
ところがわが国の相撲の横綱は強いだけではだめなのです。
それに相応しい風格がなければなりません。
弓道においても10本的を、9本射たものが優勝することがかつてはありました。
それは技が1本劣っていますが、立ち居振る舞い礼儀作法等を総合して、人格の出来ている者が選ばれたからです。
食事道
近ごろはマナーという言葉になってしまいますが、食事にも道があると思います。
日本人は贅沢になりすぎて、感謝の心が希薄になりました。
三度の食事をあたりまえと思っていませんか。
食べ物は自然の恵みや、多くの人の手によって口に入るのですから感謝して頂戴するのが、人として当然の礼儀です。
これが失われてきたのは、戦後の徳育を抜きにした教育と家庭での躾が幼い時からなされていなかったからでしょうね。
伊勢の神宮で、神職の研修がよく行われます。
その際の食前食後の作法は、先ず正座をし、一拝一拍手をしてから頂戴します。
手を合わすだけでも美しい作法なのに、どうして神社では一拝一拍手をするのでしょうか。
「古事記」に、第21代雄略天皇が葛城に狩りに行くと、向こうから天皇と同じような立派な一行がやってきます。
不審に思って尋ねたところ、「我は葛城の一言主大神なり」と応えたので、天皇は恐縮し自分の剣を献上しました。
すると大神は喜んで手を打って受けたとあります。
この古事から、我が国では古くから一拝一拍手をしています。
拝礼は食べ物がいただける感謝と喜びのタテの表現で、拍手はヨコの表現です。
このタテとヨコの作法がワンセットで行われているのが、世界にないわが国の麗しい食事のマナー(道)なのです。
この一拝一拍手を丁寧にしたのが、神社で拝礼する二拝二拍手の作法です。
因みに神職が研修の時に行っている一拝一拍手の後に、食前には「たなつもの(穀物」百(もも)の木草もあまてらす日の大神のめぐみえてこそ<いただきます>」と唱えて頂戴し、食後には「朝よいに物くうごとに豊受の神のめぐみを思へ世の人<ごちそうさま>」と唱えて食事を終えます。
いずれも本居宣長の和歌です。
ありがとうございます
今でこそ稽古の種類はたくさんあります。
昔からある伝統の稽古。
すらりとならべてみるといくつか共通していることが見えてきます。
その技を学ぶことはもちろんですが、それをささえる精神の持ちかた、心得、こだわって大切にしているものがはっきりしているのが特徴といえるでしょう。
みなさんが、いつか、和のお稽古事をはじめる時は、しっかりとこだわりを持って古の心をお楽しみください。
そして、太古から伝承されてきたわが国の成り立ちや民族の精神性、歴史や文化を学びませんか。
今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
さてと私は何を学ぼうかな。
お稽古したいことが多すぎる私です。
(学び:枚岡神社 中東宮司より)
この星が笑顔あふれる毎日となりますように。
Hope there will be a smile everywhere, every day.
これからの子供たちに幸せな世の中となりますように
Wish the world will be full of happiness with children.
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