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二條さま古事記のお話し スサノオ5

大切なのは多様性

人心は、この鬱積した国では、常にスサノオに向いていく。
スサノオのあらゆる面。
スサノオというのは、あらゆるベクトルを持っているんですよね。
非常に暗いイメージから、底抜けに明るいイメージまで。
そして、それが平面上のベクトルではなくて、球の様なベクトル。
あらゆる方向といったら、結果、球になるわけですよね。
X軸とY軸だけじゃなくて、色んなベクトルがあるでしょう。
このベクトルの方向を全部集めると、球になるわけじゃないですか。
球のような神様って、やっぱり神様として魅力的です。
これは、他の神様には全然ないです。
これを作ったのが『イザナギ』なのです。
イザナギが、国を建て直そうと思った時に作った尊い神三つ。
これが、言ってみれば、その当時の人心の欠けていたところ。
一つは、崇高さ。
崇高な考え方。
これが『アマテラス』です。
一つは法律。
絶対に必要だというのが法律。
法律がないと、我々は実は守られなかったという事なんですよ。
だから、法律があって良かった。
これが『ツクヨミ』です。
イザナギが思った最後の人心、一番重要な人心は何かと言ったら、「多様性だった」という事になります。
古事記でも、何回もこの多様性という事にトライして行くものが出てきます。
神武綏靖安寧懿徳孝昭孝安孝霊孝元開化崇神。
この10代の天皇の間にも、何回も多様性を試みてスサノオを出して来た事があるのに、一回も成功しない。
成功しない理由の一つとしては、我が一族(藤原)がいるからです。
でも、我が一族の私が多様性の旗手になったから、どうでしょう。
今回は成功しそうじゃないですか。

ありがとうを世界中に
Arigato all over the World

 

神様って心が作っているもの

実は、このスサノオのお話というのは、古事記の肝なんです。
我々「神」という名前。
西洋ではゴッド、もしくはヤホバなどという言葉。
大陸は、一神が主です。
一つの神。
なぜに我が国はこれだけの多神教でいるのだろうか。
神という名前なのに、その神が様々なのが、日本。
一つの神というのが西洋。
ずっと私がこの会でお話している「神は人心の仮託である。」
これは、洋の東西を問わず同じなんです。
実は神様って、簡単なことを言ったら、心が作っているものなんです。
決して、いるわけでも見えるわけでも何でもない。
ここにいるもの。
ここにいるのが一人なのか、沢山なのか、大いに違うんです。
我々は、沢山ということを選んだ民。
要は、最初から日本国民は多様性を神と考えているという事に他ならないです。
そして、手が届かない、手に入れられないものも神の一つなんですよ。
神って何?
こういう話をしていると、「私は神の存在を感じたい。知りたいから。」という人がいるんです。
「そこにいるんですよ。」と最初説明するんだけど、理解出来ない。
しかし、こうやって人心を話していくと、神様というのは、「ここにいる」ということがよくわかります。
神社に行って、お賽銭をあげて二礼二拍一拝で拝む。
私は祝詞の講座を持った事があるんですけれど、みんな神主さんになりたいという若者達が集まったわけですからね。
一番最初に言います。
「神は前におわさない。ここにおわす。」
神社の前に行って、神様に拝んだところでそこに神様はいません。
ここにおわすんです。
同じ目線で見ているわけなんですよ。
と、言っているんだけど、なかなか理解されない。
なぜかというと、人心というのが神様だという事をわからないからなんです。
古事記を読んでいると、日本の歴史も考古学も文化人類学も含めてですが、古事記というのは、我々が辿って来た足跡そのものだという事がよくわかります。
そして、それを我々は神という名前をつけているんです。
オークもそうです。
旧約聖書もそうです。
ハブラビ法典だってそうです。
全部ここ「心」の問題なんですよ。
一つの神様を拝む事を宗教、いや自分のアイデンティティとしている人達というのは、何でもその人のせいにする事が出来る。
我々は、神様のせいに出来ない。
神様の御業(みわざ)だと確認しているんです。
地震があったり、台風が来たり、火事があったり、戦があったり、これを神様のせいにしないんです。
「神様がなさっている」という、そういう認識をするという民になっていった。
一つの神だったら、その人のせいにしたり、その人にあやかったり、その人にすがったりします。
我々はすがらない。
存在を確認する。
これは2000年かけて我が国民が感得して来た事なんです。
まさにスサノオの考え方なんです。
この肝を外しちゃいけないんです。
だから古事記は面白い。
読んでいて、何回読んでも面白い。
どの時代の人が読んでも当てはまる。
なぜかと言ったら、我が国の歴史だから。
そして、これは、古い歴史ではなくて、人心というキーワードでくくっていくと、まさに今なんです。
常にベストセラー。
世界中でバイブルがベストセラーなのと同じ。
日本で古事記がベストセラーなのは、我々人心が書かれているから。
人の心が書かれているから。

 

 

自然発生した人心

こんな事を話しているけれど、スピリチュアルでも何でもございません。
私は幽霊も見れなければ、パワースポットがどうたらこうたらというのも、ちっとも分からない。
なんだけれど、人間が歩んで来た歴史は信じています。
それが神だと言うと、なんか腑に落ちる。
出来なかった事、やれなかった事も神になっています。
そして、ここまでが、スサノオまでが自然に発生した人心という事なんです。
自然発生した人心。
私はね、イザナギという人の頭の良さをちょっと羨む時があります。
人を掌握する時に、崇高なものがあること、決まりがあること、そして多様性を認めることって、約2600年前に叶えられたということでしょう。
今、イザナギみたいな人が来たら、多分皇帝になりますね。
皇帝という名前が良いのかわからないけれども、声の大きいマイノリティの言葉を確認するだけで、理解しないで下さい。
私は声が大きい。
どんな体育館でもマイクをいらないで喋られます。
一度、590人を目の前にして香道の講演会をした時に、「マイク使いますか?」と言われて、「いや、結構です。」と言ったら、隅まで聞こえたそうです。
なので私、声のでかいマイノリティです。
みんなの前で発表してやりました。
「私はBLです。」
これ、理解してくれる必要が全くありません。
確認してくれるだけでいいんです。
今の状況を考えましょうか。
私は車に乗りますから、ガソリンが高い。
今私の周りで、1Lが170円ですよ。
これ、理解したら終わりでしょ。
「高い。」って言い続けなくっちゃ。
ここは私のマジョリティなんです。

 

 

「桜は白骨を抱く」

テレビを見ていますと、本当に悲惨な事ばかり。
こんな事が起こるのかと思う様な事が毎日ニュースで流されるようになりました。
なぜ、中東で起こっているような事はテレビで流さないのに、西洋で起こっている事ばかり流すんだろうと、私は疑問に感じます。
ガザという所や、イスラエルとか、ゴラン高原の辺りの事だって、最近、ウクライナで200人殺されたとか500人殺されたと言うじゃないですか。
凄く悲惨な事です。
あってはいけない事ですよ。
ゴラン高原なんか、3000人、1万人と平気で殺されたって、ニュースにならないんですよ。
不思議な世界じゃないですか。
これは声の大きいマイノリティがいる証拠ですよ。
確認はして下さい。
そういう事が起こっているという事。
私は、実はこの桜の時期にこの話が出来るのがすごく嬉しいんです。
昔から、「桜は白骨を抱く」と言うんですよ。
なぜ白骨を抱くと言われているかというと、里桜というのは昔はなかったですよね。
桜は、みんな山にしか生えなかったわけです。
万葉集の中でも桜が出て来るのだけど、古今集ほど出て来ないのは、実は町中で桜は見れなかったのですよ。
なぜ、山にしか桜が生えないのかというと、狸や狐や熊というのが、山の中で死ぬからなんです。
その死体に桜の種がポンと落ちるのです。
そうすると、その栄養でどんどん大きくなるのです。
したがって、白骨を抱くようになるんですよ。
桜って、皆さんが思っている程か弱くて可憐な花じゃないんです。
桜が咲いている所を想像して下さい。
桜の木の下は、一切何も育ちません。
木が育たないんです。
あいつ、本当にむさぼり尽くすんですよ。
だから、水辺に置いておくと、護岸になって水がいっぱい吸えるし、水辺って色んなものが流れて来るからとても栄養豊富なんです。
したがって、根を張って大きくなるんですよ。
桜の名所というと、この辺だと一番有名なのは吉野です。
あそこって、南北朝の戦いでどれだけ人が死んだかわからないんですよ。
東京だと上野。
将棋隊というのが、政府軍と一生懸命戦って、あの山ね、血ぬられた山なんです。
まだ仏様があげられないぐらい、実は掘ると白骨が出て来るんです。
だから、桜が育つ。
桜って、白骨を抱くんですよ。

ここからはスピリチュアルな話になりますが、要は、白骨を抱いてどうなるかというと、
無念で死んだ人達の、無念を吸い上げて咲くというんです。
でも、桜というのはすごく優れた植物らしくて、放射線を吸ってるらしいですね。
だから、福島第一の辺りなんかは、桜の山にしてしまえばいいらしいですよ。
科学で言うと、三角形がいいんだそうです。
三角形のドームを作ると完結するらしいですね。
富士山ぐらいの三角形の山です。
一辺3メートルの三角形の縁でドームを作って富士山ぐらいの大きさにして、福島第一の上にボーンと置いたら、放射線が外に出て行かないんだそうです。
それは科学の話だけど、生物の話で言うと、桜って、そういう風にして、とても物を吸い上げて発信しないらしいですよ。
だから、あそこを桜の山にしようじゃないかというプロジェクトもあるぐらいです。
「日本桜の会」という所で一生懸命やっていますけど。
桜は我が国の花だけれども、あの花を我が国の花だと、「花は桜花」と言った本居宣長。
本居宣長は、古事記の有名な研究家でもあります。
我々は、常に口惜しいと思って死んでいくのが本当に常だったんです。
今は違いますよ。
ここの会長の田中会長が明後日誕生日で70歳。古希になられるんです。
「古希になったらどうするんですか?」と聞いたら、「もう悔いのないように生きるんだ。」って。
「僕は月の半分、着物で暮らしますよ。悔いなく生きたいから。」
今の世だからそういう事が言えるんです。
ちょっと前に、悔いなく生きるなんてなかったんですよ。
悔いだらけなんですよ。
我が国は悔いの国なんですよ。
だから、次の世代、次の世代って繋いできた国なのです。
この悔いを浄化していくというのは桜だというんですよ。
いやらしい言い方をするね、本居のあのおじさん。
「花は桜花」と、そう言います。
でもあながち、
『世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし』という、在原業平卿の歌は、今の我々にもなにか響くものがあるなと。
これは、スピリチュアルで言っているのではなくて、桜を見ると、なんだか知らないけど、気分が塞いでるのに、なんだか許せちゃいますね。
そして、立ち止まりたくなってしまう。

 

 

理解しちゃダメ、確認しとけばいい

先程、白峯様にご挨拶に行って、帰りがけ小川町小学校の前を通ったら、桜が南風でバーッと花吹雪になって、「何、私ったらどこの役者なの。」と思うくらいボハーッと来たわけです。
もう立ち止まりましたもんね。
「ああ、私主役じゃない。」
全員を主役にさせてくれる。
桜って、あれは不思議な花ですね。
ベクトルというのは桜花と同じで、本来なら自分が行きたい方向にしか向かないです。
なんだが、声の小さいマイノリティのベクトルには乗らないで頂きたい。
理解しないで頂きたい。
これは、元為政者だった一族からの忠言でございます。
私の家の一族は、権力の中枢にいたわけです。
その中枢にいた人間の古事記の話なんですよ。
なので、古事記の読み方としては、うちの家の方が一歩先にリードしているわけです。
これをとらまえていったら、あなた達を掌握出来るんですよ。
いいですか?
「私はゲイなの。BLなの。理解して。」
「はい。」
と言った段階で、あなた達は私に掌握されているのです。
ダメ、掌握されちゃ。
私はゲイだけど、あなたがゲイになる必要がないわけです。
あなたの子供達がゲイになったとしても、理解しちゃダメ。
確認しておくだけでいいです。
親の反発がなかったらダメだ。
親に反発するから人間は出来てくる。
理解しちゃダメ。
確認しとけばいい。
「お前はゲイだな」と。
それでいい。
相手が「あ、パパ、理解してくれた。」と思わせとけば、それでいい。
ただ、大きく「お前はゲイだから、いいよ。」と言っちゃったら、「パパ、抱いて。」という話になっちゃうからね。
理解する必要がありません。
これからも、この後も、この先も、声の大きいマイノリティの意見を理解しないで下さい。
これが、スサノオからの人心の教えだと思って頂いていいと思います。
そして、古事記の肝です。
古事記の肝って、まず『アマテラス』で初を作るでしょう。
そして『ツクヨミ』で来るでしょう。
『スサノオ』で来るでしょう。
もう一人いらっしゃるんです。
次回は、アマテラスとスサノオが作った子供達の話をします。
そして、アマテラスとスサノオの子供の話をした後、私のうちの先祖の神様、『アメノコヤネ』という人がいるんですよ。
その話でこの古事記は一旦閉じる事にするんですけれど、今日の話を聞いた人は、この最終回、『アメノコヤネ』の話は、この話の続きになるので重要だから絶対聞きに来て下さい。
ということで、スサノオのお話でございました。

 

この星が笑顔あふれる毎日となりますように。
Hope there will be a smile everywhere, every day.
これからの子供たちに幸せな世の中となりますように
Wish the world will be full of happiness with children.

#ありがとうを世界中に
#ArigatoAllOverTheWorld

 

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