置屋の「お母さん」の教育
少女から一人前の舞妓へ…置屋の「お母さん」の教育
こんにちは。
今の世の中、人を育てる、厳しく教える人たちって少ないですよね。
そんな日常が残っているのが、花街の世界。
教えるって、自分も厳しく生きていかないと教えられないです。
日本人としての教えをきっちりと、大切にしないといけないことです。
きっと、学ばなければならないことが花街にはいっぱいあるのでしょうね。
ありがとうを世界中に
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「「覚悟」教え 支える女将」
6日の産経新聞に載ってました。
「「覚悟」教え 支える女将」
花街の門をたたいた少女たちを一人前の芸舞妓に育てるのは、「お母さん」と呼ばれる置屋(おきや)の女将(おかみ)と「お姉さん」である先輩の芸舞妓たちだ。
「一生懸命頑張ったな。ええ舞妓にならんといかんで」。
昨年12月8日に宮川町の舞妓になった、とし日菜(ひな)さん(16)に、置屋「駒屋」の女将、駒井文恵さん(70)が涙を浮かべて語りかけた。
この日、とし日菜さんは舞妓としてお披露目される「店出し」を迎えた。
初めて黒紋付きの正装に着付けてもらい、先輩の芸妓と姉妹の証しとなる杯を交わして、あいさつ回りをした。
京都の町並みと着物が好きというとし日菜さん。
高校の看護科に進学するか迷ったが「今しかできないことをしたい」と、あこがれの舞妓になる道を選んだ。
中学3年だった平成25年10月、舞妓体験の店を訪れ、関係者から駒屋を紹介された。
大阪の親元を離れて翌年2月から住み込み、卒業式に出席した以外は一度も帰省しなかった。
「気配りがちゃんとできる舞妓になること」が当面の目標だ。
駒井さんはほぼ毎年、舞妓をデビューさせている。
時代の流れに沿って、希望者を募集するホームページを設けたが、あえて厳しい言葉を連ねる。
「覚悟が必要です」「中途半端な性根ではやっていけません」
生活習慣の変化によって、正座や布団の上げ下ろしに慣れない少女たちが増えた。
修業期間の「仕込み」は9カ月、お座敷での立ち居振る舞いを学ぶ「見習い」は1カ月。それでも期間が足りないと感じる。
我慢すれば必ず舞妓になれるという希望と、300年余り続く伝統文化の担い手としての自覚。
その両方を持たせることが「お母さん」の役割だという。
人を育てることは、自分が鏡になること。
いろいろと叱りますが、『お母さん、おおきに』という言葉が返ってくるだけで、うれしいんです。
少女たちの心に異変があれば、態度や顔つきで分かるという駒井さん。
店出しの直前、とし日菜さんの両親にはこう頭を下げた。
「舞妓になってからも、しんどうなったときは親御さんに何か言うてくると思います。
親御さんのお力添えがあれば、助かるんです。応援してください」
(文:小野木康雄)
ありがとうございます
【用語解説】舞妓と芸妓
舞妓は芸妓の見習いで、だらりの帯や「おこぼ」と呼ばれる厚底の履物が特徴。
置屋に住み込み、共同生活で京言葉や行儀作法を学びながら、舞や三味線、茶道などの芸事を習う。
2~5年ほどで「襟(えり)替え」をして芸妓になり、25歳ごろまでに置屋を離れて「自前」として独立する。
それまでの生活費や稽古の費用、衣装代はすべて置屋が負担する。
舞妓さんに限らず、一人前の大人(定義は難しいですが)に育てるには
育てる側にもしっかりとした覚悟が必要ですね。
学校教育も同じだと思うのですが、昨今の学校のありようを見るとどうも違うように感じます。
ましてや親たちも。
本当に大切なこととは何かをしっかりと確認するときに来ているのかもしれませんね。
今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。