松久佳遊さんのお話し 浄住寺から阿茶の局
二つのお寺
こんにちは。
今日のお話しは、このようなつながりのお話し。
阿茶の局→徳川和子→御水尾天皇→隠元禅師→鉄牛禅師→葉室頼隆卿
わかりますか?
偶然ですが、かねがねご依頼のあったお寺へ続けざまに行っていました。
片や京都 西京区の葉室山浄住寺。
そして東京 江東区の龍徳山雲光院。
全く場所も宗派も違う二つの寺ですが、不思議な接点があるように思いました。
浄住寺の縁起は平安時代9世紀に円仁(慈覚大師)の創建で常住寺と号していましたが、13世紀に公卿 葉室家の菩提寺として浄住寺と改められ今に至ります。
江戸時代初期に葉室頼孝が黄檗宗萬福寺の創建に力を尽くした鉄牛禅師に帰依した事により黄檗宗の寺となり浄住寺を再興します。
雲光院については、徳川家康の側室阿茶の局の菩提寺で出家した折の号「雲光院」がそのまま寺の号とされ浄土宗のお寺として親しまれています。
全く別々のお寺としてお付き合いをさせて頂いておりましたが 浄住寺の少し変わったお姿の仏さまの事を調べた事がきっかけでご縁をいただきました。
ありがとうを世界中に
Arigato all over the World
後水尾天皇
御水尾天皇をキーパーソンに、同じ時代に京の都で活躍した方々が浮かび上がってきたのです。
阿茶の局は徳川家康の側室ではあるものの正室を亡くした家康に取り分け寵愛にされました。
才色を兼ね備えたうえ、武術にも優れ戦場にも参じ秀忠の母がわりとなって徳川家に尽くした女性でした。
秀忠の五女和子が京の御水尾天皇のもとに入内される時も付き添い、若い和子のために朝廷と徳川家とをとり結んだのは他ならない阿茶の局の才覚があってこそと考えられます。
御水尾天皇は仏教の信仰篤く、晩年にかけては明より来日した隠元禅師とも親交を持たれました。
御水尾天皇の念持仏は隠元禅師が明から請来し献じた釈迦牟尼像(しゃかむにぶつ)でした。
この仏像のお姿は浄住寺の本尊釈迦牟尼とよく似ており、異国の様式を取り入れた作風に江戸時代らしい台座光背に安置させた独特の本尊さまです。
ありがとうございます
阿茶の局→徳川和子→御水尾天皇→隠元禅師→鉄牛禅師→葉室頼隆
二つのお寺のあいだに歴史に残るお名前のつらなりを目の当たりにした時、たった2日の間に私は400年前を旅した不思議な気持ちがしました。
今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
(2018.01.25を再編)
この星が笑顔あふれる毎日となりますように。
Hope there will be a smile everywhere, every day.
これからの子供たちに幸せな世の中となりますように
Wish the world will be full of happiness with children.
#ありがとうを世界中に
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