武市香織さんの萬葉集講座2
萬葉集はいつできたの
こんにちは。
今日は私の大好きな武市香織さん(私の知人の奥さまです)の萬葉集講座のお話しの二回目です。
萬葉集!
みなさんご存知ですか。
ご存知ですよね。
はい、私も萬葉集という言葉は知ってますが詳細、中身は全く分かっておりませんでした。
改めて萬葉集って何?からの学びです。
香織さん宜しくお願いいたします。
ありがとうを世界中に
Arigato all over the World

奈良時代は8世紀
年表の8世紀というところを見ていただきたいのですけれども、その8世紀というふうに書いてある上のところにちょっと大きな文字で囲んでありまして8世紀、奈良時代、というふうに書いてあります。
実は奈良時代というのはほとんどこの8世紀に含まれますね。
これはこの間も申し上げましたね。
8世紀。
平城京の遷都が710年、8世紀に入って10年目、そして平安京の遷都が794年ですからもうあと6年で9世紀に入るという。
そういうところまですっぽりほとんど84年間。
奈良時代というのは8世紀の中に包まれております。
ただ細かいことを言いますと、本当は奈良時代の最後というのは都は奈良ではなくていろんなところに。
聖武帝が怯えて、非常に不安定な時代になるのですけれども、今はそういうような歴史の時間ではございませんので、もうざっくりと平安京に移る794年までを奈良時代という形で、約80年間、8世紀といえば奈良時代、奈良時代といえば8世紀。
700年代時代が奈良時代だというふうに思っていただくと、一つの歴史を考えるときに一つのエポックポイントみたいな形になります。
これはちょっと今日頭に入れておいていただきたいことです。
さて、この奈良時代というのがそこに囲みのところに書いてありますように、文化事業の結実の時代だというふうに書いてあります。
これはこの間のときにも申し上げたのですけれども、この文化事業というのの結実というのがどういうことなのかということをちょっとだけもう1回話させていただきたいと思います。
この文化事業の中に、まず万葉集も含まれています。
万葉集、日本最古の一番古い和歌の歌集です。
和歌のこと。
和歌と私たちも言いますけれども、大和言葉でいうと大和歌というのがこの和歌。
これは漢詩、唐歌に対する呼称として、日本語で読まれた日本の歌を大和歌、和歌と申します。
その和歌の一番古い歌集が万葉集です。
全部で20巻4500集以上が収められているのです。
何度も何度も繰り返し編纂された萬葉集
この萬葉集、1回だけで変算されたのではなくて、長い間に何回にも何回にもわたる作業を経て、現在私たちが万葉集20巻として見る形になったのが、だいたい770年頃、奈良時代の末期です。
ですから、万葉集というのは、奈良よりも少し前の、いわゆる前代からの文化事業として何度も何度も繰り返し編纂されて、最後20巻、本として私たちが見る形になったのが奈良の終わり頃だというのです。
ですから、奈良時代というと、前代からの文化事業の結実の時代と、まさにそういうことになるのですけれども、これは何も万葉集だけではありません。
左側を今度は見てください。
星が2つついておりまして、そこに古事記、日本書記と書いてあります。
これも皆さんよく耳にする歴史書の名前ですけれども、古事記と日本書記、下を見ますと、古事記は神代の時代ですね。
つまりは雨土初めて開けし時、この世の始まりから神様がお生まれになって、それから天皇の時代になって第33代の推古天皇までをまとめたのが古事記です。
推古天皇が奉行なさったのが628年。
天地初めて現れし時から628年までをまとめているのが古事記。
そういう歴史書です。
これが712年に成立いたします。
712年と申しますと、先ほど平城京、先都が710年「なんと見事な平城京」と私たち覚えましたけれども、710年ですから、わずかその2年後に成立しているということは、これももちろん前の時代から奈良時代より前の時代から作り始めて成立を見たのが712年。
奈良に入ってすぐということになります。
これは稗田阿礼という方が講述したものを太安万侶が編集した。
これはもう有名な話でございますので、よくご存知でいらっしゃると思います。
中身なのですけど、この中身は高級の妃ですとか、巫女、姫、あるいは女官たちの教養書だったのではないかというふうに言われています。
つまりは一種の教科書ですね。
わりと、女官とか妃とか王子たち、あるいはまだまだ成人になっていない姫御子たち、そういう人たちが学ぶために作られたのではないかというのが、今の一つの大きな説になっています。

変体漢文
変体漢文というのは、普通の中国の中国語の文章を書くもののほうを純漢文、全くの本当の純粋な漢文という意味で純漢文と申しますけれども、変体漢文というのは、その純漢文ではあまりにも複雑だから、もうちょっと日本人が読みやすいように工夫して日本人が読めるようにしたのが変体漢文。
だから中国の人から見たらこれは間違えている。
これは中国語の文章ではないというふうに、そういうふうに思うような書き方です。
もちろん現代の私たちが見ても、まさに漢文とても普通に読めるようなものではありません。
だけれども、当時の人からはこちらだったら日本人が読める。
そういうようなものが変体漢文です。
これは文章様式という文章のスタイルの話をずっとしてしまうと1時間かかってしまうので、この辺でやめときますけれども、とにかく変体漢文にもいろんな書き方があって、時代によっていろいろと変遷していくのです。
日本人が読みやすいものだということだけ頭に置いていただければ十分だと思います。さて、その次の日本書紀です。
これ、日本書紀も古事記と同じように、神世の時代、天地初めて開けし時から、今度は少し下りまして、第41代持統天皇まで、この時代までを記録しています。
持統天皇がこれは生前退位をなさっているのですけれども、その位を下りられたのが697年です。
ですから、先ほどの推古天皇よりも70年ほど後の時代まで書かれているのが日本書紀ということになります。
この日本書紀、720年に成立しているのですね。
720年で編参の責任者は舎人(とねり)親王。
天武天皇の王子だった方なのです。
藤原不比等
時の右大臣、藤原不比等。
この不比等っていう人はすごい人です。
意外に知られてないのですよね。
不比等という名前、藤原の鎌足というのは皆さんよくご存知なんですけれども、鎌借りをしのぐほどすごいのがこの不比等です。
不比等は鎌足りの次男。
長男がいるんですけど、長男はお寺にお坊さんになりまして、そしてこの次男は最終的には太政大臣に近いような位まで登っていきます。
平安時代の藤原氏のあの層を築いたのは鎌足よりもむしろこの不比等です。
この不比等の4人の息子がそれぞれちょっと歴史の話になっちゃいますけど、武智麻呂(ムチマロ)、房前(フササキ)、それから宇合(ウマカイ)、麻呂(マロ)という4人の息子がおりまして、これがそれぞれ南家、北家、四季家、それから京家という4つの家に分かれまして、ここからが藤原の世になっていくのです。
まさに礎を築いていく。
これはお父さんが不比等です。
この4人の息子をそれぞれ独立させる形でこういうような家に分けさせたのがこの不比等ですから。
まさに後の時代の藤原の隆盛は不比等によって作られたといって過言ではありません。
本当にすごい人です。
この日本書紀のほうも実態は当時右大臣だった藤原不比等を中心としたのです。
これすごいですよ。
不比等って名前見てくださいよ、比べるもののないって言うのですね。
等しく比べるものがないって書くのですからすごい人です。
不比等を中心とした学術集団による編纂だというふうに言われています。
この中に多分、山上憶良がいたのではないかというような、そのような話もございます。

ありがとうございます
さてこれ、日本書紀と古事記、同じ神世から一番最後がちょっと違っているとはいえ、同じ歴史書なんですよ。
同じ歴史書なのに、成立が古事記は712年、日本書紀は720年8年、日本書紀のほうが遅れるとはいえたった8年です。
つまりはその編纂作業が始まったおそらくは少しその前の時代から、その編纂作業が始まった時代から、古事記と日本書紀という2本立てで編参作業が始まって712年に古事記、720年に日本書紀が成立するという。
そういう流れになる。
なんで2つも、2種類も日本は歴史書を作ったのか、同じ時代に。
これが先ほど言いました、表記のところからそれの違いがだいたい推測されるのです。
先ほど「古事記は日本人が読みやすい変体漢文ですよ」というふうに申しましたが、日本書紀は純漢文です。
純漢文、中国人が読める純漢文、当時は朝鮮半島はまだまだ統一されてなくて、たくさんの国に分かれていましたけれども、3つとか大概4つとかっていうふうな国に分かれていました。
朝鮮半島の向こうには大きな中国がありまして、そして朝鮮半島にはいくつかの国がある。
ここの人たちはみんな純漢文を使っています。
その国際基準に合わせた純漢文で綴られているのが日本書紀です。
つまりはこの日本書紀というのは国内向けに作られたのではなくて、外国を意識して、外国というのは大陸と半島。
その外国を意識して作られたこの日本初の正史になっています。
古事記と比べるとずっと対外国向け、これが日本の政治であるとして書かれた外国を意識して書かれたのが、日本書紀。
あまりそういうことを考えずに国内で教養書として作られたのが古事記という。
こういう二つの種類の違う歴史書がこの時代に作られています。
まさに前代からの文化事業の結実。
これが奈良時代なのです。
この星が笑顔あふれる毎日となりますように。
Hope there will be a smile everywhere, every day.
これからの子供たちに幸せな世の中となりますように
Wish the world will be full of happiness with children.
#ありがとうを世界中に
#ArigatoAllOverTheWorld





