二條さま古事記のお話し オオコトオシオノカミ1
二柱の神様がつくられた最初の神さま
天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)から始まって、高御産巣日神(タカミムスビノカミ)、神産巣日神(カミムスビノカミ)、宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコヂノカミ)。
こういった十二柱の神さまをトントンとお話しさせて頂いて、前回は、伊邪那岐神(イザナキ)、伊邪那美神(イザナミ)というお話でした。
イザナギ、イザナミという二柱の神さまがこの国を創ってまいります。
この、国を創っていくという考え方、色々な順番があり、これは古事記、日本書紀で順番が違います。
国を創っていく。
どうやって創ったかというのは、前回お話した通り、鉾をグジュグジュと巻いてポンとやってポンと雫が落ちて、この雫が島になって、そして国ができていく、という風な事でした。
そして、家宅の神さまという神さまを先につくるのですが、実は、それより先につくられた神さまがいるのです。
大事忍男神「オオゴトオシオ(オオコトオシヲ)ノカミ」です。
今日は「オオゴトオシオノカミ」についてお話します。
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とても大切な神さま
イザナギとイザナミが、国造りが終わった後、一番最初に作った神様というのがいます。
この神様が、「オオゴトオシオノカミ」といいます。
一般的に皆様にはあまりよく知られていない神様です。
イザナギとイザナミがつくったというと、例えば蛭子神(ヒルコ)や火之迦具土神(カグ
ツチ)、奥山津見神(オクヤマツミ)や綿津見神(ワタツミ)などの方達はよく知られていますが、実はそのような素敵な神様達よりも重要な神様をつくっているのです。
実は、古事記の中でとても大切な神様というのは、大抵の場合、物語がついてないのです。
勿論、大切な神様は、天照大御神(アマテラスオオミカミ)様ですとか、月読(ツクヨミ)の神様、須佐之男命(スサノオノミコト)などの神様です。
そういう大切な神様はちゃんとエピソードがありますが、もっともっと大切な神様がいるのです。
その、もっともっと大切な神様というのは、エピソードが殆どないのです。
ですので、イザナギ、イザナミお二柱がつくった神様の中で、一番重要な神様は、実は、「オオゴトオシオノカミ」なのです。
この神様は、一般の神社には祀られていません。
この神様が祀られているのは、宮中の、三殿という陛下の神社があるのですが、そこの神殿と呼ばれる八百万の神様が祀られている所と、内閣総理大臣の執務室の裏にしか祀られていないのです。
そのぐらい大切な神様なのです。
よしやるぞ
何が大切なのか、いつ現れたのか、イザナギとイザナミのお二柱は、国創りをした後、まず何をしようか考えて、この神様を一番最初につくるのです。
何か物事をやろうとか、何かをなそうとかする時に、「よし、頑張るぞ!」という気持ち。
こういう気持ちが体からフツフツと湧いてくる。
フツフツと湧いてこないで何か物事にあたる。
実は私などは隠居ですから、あまり物を考えないです。
大抵の場合、もういい加減そのものです。
ですが、こんな私でも実は、字を書く時、かなの作品を作ったり、かなの稽古の手本を書く時は、喫煙家なのですが、朝からタバコを吸いません。
本物のかなの作品を書く時は、3日間くらいタバコは吸いません。
それから、潔斎する訳ではないけれど、字を書く前は、手と口はすすぎます。
隠居ですから、普段はどうしようもないのですよ。
そんな隠居生活の私でも、ちゃんとしたものをしようとする時に、一つ改まります。
ましてや、皆さんのような社会にちゃんと貢献なさってらっしゃる方々というのは、お仕事をやられる時とか、例えばお客様にお会いになる前など、心改まるのではないでしょうか。
神様もなさったのです。
「よしやるぞ。」と。
何をやったかと言うと、この後、神様が沢山おられるわけですから、セックスに他ありません。
そういうことなのです。
この神様が終わった後、家宅(かたく)の神様というのをつくるのですが、家宅の神様とは、お家の神様です。
木の神様だったり、屋根の神様だったり、壁の神様だったり、柱の神様だったりしますが、この家宅八神(家宅六神?かたくはっしん)をつくる前に、「よし、やるぞ。」という神様をつくるのです。
それを、大事忍男神「オオゴトオシオ(オオコトオシヲ)ノカミ」といいます。
言葉も大切な子供
我々人間が、何かことを成そうとする時、一番のことを成すとは、子供を作ろうとする時。
子供という比喩が、大事(おおごと)です。
大抵の方が不安になります。
自分で育てられるのだろうか、自分が子供の責任を持てるのだろうか…。
それというのは、子供だけではなく、例えば何かの事業をする時だとか、皆さんの前でお話をする時でも同じです。
言の葉は、大抵の場合、流れていってしまうため、無責任この上ないけれど、実は、言の葉というのは頭の中に残ります。
その残った言葉にどんな責任を持ったらいいんだろうかと、いつも考えています。
きっと、私のところに来て言の葉が残っていくのです。
その言の葉は、「二條さんがそうお話になった」という、レッテルが貼られます。
これも、私の口から出た「子供」と同じです。
例えば、ラジオでお話しする方のちょっとした笑い声も、「ここで笑って差し上げることによって、リスナーがどういう風に感じるか」と分かっているからなのです。
言の葉が子供になってくるのです。
そこでは笑い声ですら責任が生じてしまっているのです。
私も、このような、いい加減な古事記の話をしているのでございます。
けれど、実は話している一言一言に、自分なりの責任を負っているつもりでいます。
この「責任」という、この「感情」、この「感じ」が、「オオコトオシオノカミ」の本性という事になるのです。
ありがとうございます
「オオコトオシオノカミ」をつくったという事は、イザナギ、イザナミというのは、この国を創り、神様を産まされることに責任を負ったという事です。
ですから、このお二柱からできた神様たちが日本を治めるのは、実は、このお二柱の神様が全部責任を持っていってくれているという事です。
ただし、お二方とも隠れられました。
古事記で、隠れ神はなかなかいないのです。
隠れたと書かれてるのは、このお二柱だけなのです。
無責任にも、ちゃんと、自分達が隠れると、もはや分かっていたのです。
だから、責任をとってくれる神様を一番最初にあれましたのです。
つまり、天皇家と、総理大臣、そして代々の時の為政者(いせいしゃ)が拝む神様なのです。
時の為政者というのは、例えば平安時代であれば、藤原氏のトップ、「藤氏長者(ふじのちょうじゃ)」といいますが、藤原家のトップがそれに当たります。
関白、太政大臣という職位に就いた人が拝む神様という事になるのです。
一般の人達が拝む神様ではなくなりました。
ですので、名前だけ残っているのですが、現在は、総理大臣と陛下しか拝む方はおりません。
お詳しい方は、この神様が大切だと色々な先生からお話をお聞きになると思います。
私の話だと本当にいい加減そのものでございますけれども、あまり古事記の講座でも話題に登らない神様です。
でも私は、この「オオコトオシオノカミ」というのは、「我々日本人の責任を負って下さっている神様」だと思っています。
「日本人の責任」という事に、もう一つ定義を付けさせて頂くと、私は「日本人の定義」というのを考えています。
日本人の定義は、「日本語を母国語と感じ、日本語を母国語と思っている人が日本人である」と、私は考えています。
例えば、肌の色が黒くて、目の色が青くても、日本語を母国語だと思って下さっている人が日本人です。
この定義のもとに、「日本人の責任」があると考えています。
この星が笑顔あふれる毎日となりますように。
Hope there will be a smile everywhere, every day.
これからの子供たちに幸せな世の中となりますように
Wish the world will be full of happiness with children.
#ありがとうを世界中に
#ArigatoAllOverTheWorld