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二條さま古事記のお話し オオコトオシオノカミ②

日本語を守ること

「日本人の責任」は、「日本語を守ること」です。
人間、特に民族というのは、大体がどこも、宗教と、言語で枠組まれています。
ただ、我が日本国は多神教です。
国連には、「ネーションブック」というものがあります。
その国の元首(げんしゅ)と言語と宗教、その成立が書かれてあります。
そこでは、我が国は、元首が「天皇陛下」で、宗教は「神道」と書かれてあるそうです。
神道ではなく、お寺で拝んでおられる方もいますので、驚く方もあると思います。
しかし、「元首が拝んでいるのが神道だから」なのです。
ちなみに、韓国は、仏教が国教になっていますが、国の90%がカトリックです。
ですから、我々日本人の責任は、「宗教を守ること」ではなく、「言葉を守ること」なの
です。

ありがとうを世界中に
Arigato all over the World

 

 

 

みなさま神さまなのです

「言葉を守る」とは、決して、古代語を話しなさいという事ではありません。
言葉というのは、生きているからなのです。
例えば最近、「波動」という言葉がよく使われていますが、「波動」という言葉は松本零士先生が作った言葉で、昔から日本にはない言葉です。
私が知っている「波動」に一番近い日本語というと、「霊性」だと思います。
「霊性」はグラフで書けます。
プラスマイナスです。
「霊性」が何処にあるかという事を問うのが、おそらく、「波動」に近いのだと思っています。
「波動」という言葉を作られた松本零士先生は、おそらく『戦艦ヤマト』に乗せたものなのですが、言葉が生きているおかげで、今、「波動」という言葉は、スピリチュアルの方達にはしっかり普通の言葉になりました。
最近は、私は「波動」と聞くと、それは「バイブス」だからと言います。
「バイブス」は英語ですが、ちゃんと日本語になっています。
ということで、言葉というのはどんどん増えていくし、変化(へんげ)していきます。
でも、言葉は口から出るものです。
名前を呼ぶ時に、「〇〇さん」と呼びます。
この「さん」ですが、実は漢字でいうと、「山」なのです。
相撲取りのように、「〇〇山」となるのです。
相撲取りに何故「山」と付けるかというと、あの方達は、神様なのです。
山は神なのです。
要は、日本人は相手を呼んで「さん」を付けた時に、相手を神様と扱っているという事なのです。
口から出る言葉、出る言葉が、全て祝詞なのです。

 

 

日本人が守っているのは言葉

全て「呪」がかかります。
誰もが名前を呼ばれると返事をしてしまいます。
実は誰もが既に、自分の名前で呪されているのです。
そういう鎖で巻かれているのです。
音で巻かれているのです。
日本人が守っているのは、言葉、すなわち祝詞です。
日本語なのです。
我々が守っている、「責任を負っている事」とは、日本語なのです。
そして、それは古い言葉でもなんでもない。
今喋っていること、これが一番重要なことです。
勿論、古い言葉には、それだけの呪力があります。
白拍子の中で歌われている歌は、今の人が聴いていても、ちっともわからないのだけど、見てる人や聴いてる人は、その音だけで魔法がかかっているのです。
意味など全くわからないのです。
ここで万葉集を読もうが、古今集を読もうが、何もわからないのです。
「天津風雲の通いじ吹きとじを乙女の姿しばしとどめん。」
なんとなくいいと感じるでしょう。
和歌でも、口に出して音にすると、なんとなく一杯日本酒を戴きたくなってしまうような感覚になったりします。
お扇子を持ってパラパラとやって出て来たくなったりします。
日本語とは、そういうものなのです。
我々が守らなくてはならないのです。
我々が責任を負っているものとは、実は日本語なのです。
寄せに行って大笑いするのも、こん畜生め、この亭主と思うのも、みんな言葉なのです。
見ただけで憎たらしいと思う相手がいても、大抵の場合、我々の感情を大きく膨らしめるのは言葉以外にないです。
この「言葉」によって、人は掌握されていくのです。
だから、「オオコトオシオノカミ」は、日本語を守って下さると思ったら良いです。

 

 

「オオコトオシオノカミ」は日本語の神

我々が共通に認識できることを守ってください。
では、それは何かということです。
皆が共通項として守らなくてはならないこととは、「法」ではないでしょうか。
これは守ってない人間の方が多いです。
立ち小便でも、本当は軽犯罪法違反ですから、やってはいけないです。
昔は、塀に鳥居が書いてあったりしました。
ここで立ち小便をしてはいけませんという風にです。
だから、言葉、日本語で守らなくてはいけない共通の守りとは、「法」だということです。
一番の本質は、日本語に違いないわけです。
「オオコトオシオノカミ」というのは、「人間同士が決めた共通な認識を守って下さい。」、それが我々の場合は、「言葉」だと思います。
ただ、政府や大きな団体でしたら、これは「法律」です。
日本人が責任を負っている事とは、実は法律です。
我々が選んで国会議員にして、国会議員が作ってくれたものを、我々が責任を負うということになります。
「オオコトオシオノカミ」というのは、日本語の神であり、法の神です。
従って、我々一般人が拝む必要がないのです。
総理大臣が一生懸命拝んで下されば良い神様という事になるのです。
何故なら、我々は「オオコトオシオノカミ」なのです。
私達は、口からどんどん言の葉を発します。
「ここ、バイブスいいねー。」
これが「オオコトオシオノカミ」という事になります。
この平和を守っているのが政府。
こうやって自由奔放に言葉を操る事をお許し下さって、それをお守り下さっているのが、元首である天皇だと思います。
だから、天皇家の方々は大変綺麗な日本語をお使いになります。
天皇家の方からは、「バイブス」という言葉は出ないと思います。
天皇家というのは、綺麗な日本語をお使いになり、日本語を守って下さっています。
日本語を守るという事は、我々が活発に意見を述べる事の出来る自由さという環境、こういったものを守って下さっています。

 

 

和(やわらぎ)をもって尊うし(たっとうし)となす

聖徳太子の言葉で、「和を以って尊しとなす」という言葉があります。
ただし、これは、「和(わ)をもって尊し(とうとうし)となす」ではありません。
「和(やわらぎ)をもって尊うし(たっとうし)となす」という風に言います。
「和(わ)をもって尊うし(とうとうし)となす」は、「和」=護送船団(方式)のこと
です。
中から人を出さない、外から中に入れない、「和(わ)」です。
「和(わ)」という言葉は、さげすまれた言葉です。
大陸から「和の国」だと言われているのは、実は、「あそこは村だ」という風に言われているのです。
こちらからなかなか入っていけない、向こうからなかなか出てこない、手を結んだら離さない。
しかし、聖徳太子はそう言ったのではないのです。
「和(やわらぎ)」と言ったのです。
「和らぎ」とは、デコボコしているのです。
柔らかいのです。
引っ込んでいるところもある。
横を向いてしまっている人もいる。
その当時、外国の人だっていたのだと思います。
でも、そういう人が「とうとい」のではなく、「たっとい」と言ったのです。
「とうとい」というのは、目の上にあるものです。
「たっとい」というのは、同じ目線という意味です。
デコボコしている。それが「たっとい」。
それが、状況として一番良い、と言ったのです。
女の人も、男の人も、目の見えない人も、口がきけない人も、鼻の悪い人も、手がない人も、もしかしたら、日本語を喋られない人も、おじいさんでも、子供でも。
デコボコしていていい。
それが同じテーブルについているのがいい。
これが、「平和」と言うのです。
「平らかで和らぎ」と言うのです。
この、「平らかで和らぎ」というのを守っているのが、「オオコトオシオノカミ」ということです。

 

 

目の前にいる人が「オオコトオシオノカミ」

言葉でつながれる。
争い事でも、暴力に訴えるのではなくて、言葉で解決しましょうということです。
「和らぎをもって尊うし(たっとうし)となす」ということが、実は、「オオコトオシオノカミ」に繋がっていきます。
今回の古事記のお話は、「オオコトオシオノカミ」という大切な神についてお話しさせて頂きました。
ただ、古事記の中では、お名前しか出てきません。
日本書紀に至っても、お名前しか出て来ませんし、お参りしようと思っても神社がありません。
なぜ神社がないかというと、目の前にいる人が、「オオコトオシオノカミ」だからです。
自分の目の前に言葉を発してくれている人、これが「オオコトオシオノカミ」だから、神社を持つ必要がないのです。
あなたがあなたであるのは、「オオコトオシオノカミ」だからなのです。
ぜひ、「オオコトオシオノカミ」は自分の中に存在していて、自分は言葉を発しているのだという事を忘れないようにして頂きたいたいと思います。
何故、お名前しか出て来ていないかという事については、私の家では、ヒエラルキーがあるため、聞けば少し不愉快になる言葉なので現代語に直すと、我々一般人が知らなくていい神という事になっています。
何故なら、正しくは、法律の神様です。
法律は、我々が守って、我々が責任を持っているものだけど、私達を戒めているという事でもあります。
法律は本当は破りたいものです。
本当だったら外でも立ち小便したいです。
高速に乗ったら120キロくらい出したいです。
だけど、法律を作ってきた人間は、出されてしまうと困るわけです。
沢山ふかせるようになると、エンジンがよく回るようになって長持ちしてしまうから、エンジンがふかないようにして、なるべく止まるようにして貰わないと車を買って貰えません。
そういう、大人の事情が見え隠れする神様でもあります。
だから、一般の人が知らなくてもいい神様で、大人の事情神です。

 

 

ありがとうございます

この後に「ツクヨミノカミ」が出ますが、これが難癖なのです。
「ツクヨミノカミ」も名前しか出て来ません。
なのに、「三鬼神」なのです。
しかし、エピソードが「アマテラス」や「スサノオ」と違って全くないのです。
全くないという訳ではないですが、一つしかエピソードがないのです。
大月姫のエピソードしかありません。
古事記に至っては、名前しか出て来ません。
大月姫のエピソードは、日本書紀の一章の二学(二話)です。
それは、実は隠されてるのです。
これもまた、大人の都合でございます。
私から聞いた「オオコトオシオノカミ」の話は、わりと秘密な話を聞いたと思った方がいいです。
神社がないのは、総理大臣が拝んでいるからです。
総理大臣はなぜ総理大臣になれるかというと、政治をしたからという事です。
今の政治をしたというのは、どんな経験を落としたかということに他ならないのです。
その総理大臣の都合の神様であるのです。
ただし、総理大臣は言葉が上手でないと駄目なのです。
「オオコトオシオノカミ」です。

 

この星が笑顔あふれる毎日となりますように。
Hope there will be a smile everywhere, every day.
これからの子供たちに幸せな世の中となりますように
Wish the world will be full of happiness with children.

#ありがとうを世界中に
#ArigatoAllOverTheWorld

 

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