「和の変」 その1 秋祭りの神様
秋祭りの神様、田の神様 来る神さま、迎える神様
神様のこと その1 (黒岩 直樹 記)
村の鎮守の神様の 今日はめでたい御祭日
ドンドンヒャララ ドンヒャララ
ドンドンヒャララ ドンヒャララ
朝から聞こえる 笛太鼓 (文部省唱歌「村まつり」)
神社のお祭りにもいろいろあります。
新年、初午、節分、春秋の例大祭、夏越(なごし)、七五三など、神社でやらないお祭りもいっぱいあります。
フリース祭りや刃物祭り、タイヤ祭りなどですが、これらは単なるセールスイベントであって「祭り」が「大騒ぎ」に意味が転化されたことからくるもので、宗教とはもちろん無関係です。
この唱歌でめでたがっている御祭日(おまつりび)とは秋祭りです。
収穫を祝い、感謝する祭りです。
「年も豊年満作で村は総出の大祭り」という2番の歌詞から明らかです。
都会の神社では7月ころに夏祭りをやることがあります。
京都の祇園祭や大阪の天神祭がそうです。
私の生まれた河内の一寒村でも、秋祭りとは別に7月下旬に夏祭りをおこないました。
ただ、収穫感謝といった秋祭りほどの統一された意味づけは夏祭りにはないようです。
ありがとうを世界中に
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神さまをお迎えする
秋祭りは収穫感謝ですから、あきらかに農耕関連のお祭りです。
でも、農耕のお祭りって、神社でとりおこなうこの秋祭りだけでしょうか。
今の農村のことはよく知りませんが、むかしは春が来ると村では「田の神迎え」の神事をおこないました。
田植え前のお彼岸のころです。
神を迎える「依り代(よりしろ)」として榊の枝や竹を畦に立て、村人が笛や太鼓で囃して田の神を迎えます。
そして秋になったら鎮守の神様を祀る神社で秋祭りをしてもうおしまい、ではありません。
春、田に迎えた神様にお引取りいただく神事をちゃんとおこないます。
「田の神上げ」といって今度はそれぞれの家に神様を迎えて贅沢なご馳走を供えて、来年またお越しいただくようお願いするのです。
これも神社は基本的にノータッチです。
なぜ、このようにダブルで収穫感謝をおこなうのでしょう?
そもそも鎮守の神と田の神は同じ神様なのでしょうか?
2種類の神様
田の神様はどこから来てどこに帰るのでしょう。
高天原から降臨されるのか。
実は田の神様は春から秋までは田の神なのですが、基本は「山の神」なのです。
山から迎えて山に送る。どうも鎮守の神様とは感じが違います。
日本の農民は長い間、この二種類の神様に収穫を祈念、感謝してきたようなのです。
秋祭りの神様
神社での秋祭りを考えてみましょう。
神主が神殿に神様を呼び降ろします。
巫女(みこ) が神楽舞を奉納し、いよいよ神様に村内を巡行していただきます。
神輿(みこし)に乗せたり、山車(だし・だんじり)に乗せたりとさまざまですが、基本は人が乗り物を動かします。
掛け声は「ワッショイ」が一般的ですが、私の故郷の中河内地方では「オータエ、オータエ」といいながらだんじりの綱をひきました。
どちらも「来られました」という意味の半島由来のことばです。
田の神様
田の神は基本的には神様自身が移動します。
迎えて、送る、それだけです。
村人が山の祠に行くこともありますが、基本的にはあっちから来てもらえるのです。
移動する神と自らは移動しない神。
もちろん神社の神様も天界から地上に降臨するのですが、これは人の関与できる領域ではないので問題外です。
あくまでも、地上付近を移動するかどうかの違いです。
また、移動する神は村人が直接神と交感します。
移動しない神は神主経由で接触するという原則的な違いもあります。
ただし、神社の社頭で賽銭をほりこんでポンポンと拍手を打っても直接交感できますが、これは略式で、ややご利益うすし、の感があります。
初詣ならともかく、厄除けやお宮参り、七五三をこれですます人はいないでしょう。
正月に神事をおこなう人も少なくなりました。
私も不信心なほうですが、いちおう注連縄を玄関に張り、鏡餅を神棚の前に飾ります。
元旦は庭に出てお天道様を拝み、庭に植わった榊の枝や、酒・水・米・塩を神棚にお供えします。
伏見稲荷と大神(おおみわ)神社への初詣は欠かしません。
伏見さんでは、裏の稲荷山の白菊さんまで登って鳥居を奮発して奉納します。
来る神様と迎える神様
長年なんの不思議も感じずにこれだけのことを習慣としてきたのですが、よく考えると疑問点もある。
注連縄や門松、鏡餅などの造作を家内外にしつらえて結界や依り代をつくって我が家に迎える神様(歳神)と、こちらから出向いて挨拶に行く三輪のオオモノヌシさんや伏見のウカノミタマさん。
移動する神と神社に居座る神。
私のは神道というほどたいそうなものではないのですが、どうもふたつの異なる信仰、習俗を実践しているような気がしてなりません。
大乗と小乗
仏教にも大乗と小乗の区別があります。
日本は大乗仏教ですがたくさんの宗派がある。
キリスト教もカトリックやプロテスタントの、イスラム教にもスンニ派やシーア派の別があるようですから、日本の神様もこの程度のバラエティはあるのしょうか。
そういえば八百万(やおよろず)の神というくらいですから、この程度の差異は問題にすべきではないのでしょうか。
しかしどうも私には、本質的に別のカテゴリーのものという気がしてならないのですが。
天神地祇(てんじんちぎ)
天神地祇ということばがあります。
天つ神、国つ神ともいいます。
明らかにこの国での二つの神様の集団をあらわすことばです。
高天原から降臨したアマテラスを祖神とする天神と、出雲系のスサノオやその子孫のオオクニヌシの系列の地祇にわけられます。
でもスサノオはアマテラスの弟ということに神話ではなっているので、わけがわかりません。
いずれにせよ神様みんなに名前があって、どこかの神社で祀られています。
山の神や歳神は高天原出身ではなさそうなので国つ神のようですが、本来特定の神社もなさそうだし、まず固有の名前がありません。
オオヤマツミやオオトシという名前も付与されてはいますが、後からこじつけた感じです。どうも正体不明の神様なのです。
しかたがないので、ものの本には「原始信仰」「山岳信仰」で説明してあります。
(次回 神様のこと その2へ続く)
今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
この星が笑顔あふれる毎日となりますように。
Hope there will be a smile everywhere, every day.
これからの子供たちに幸せな世の中となりますように
Wish the world will be full of happiness with children.
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