お仏壇とご先祖さま、とても大切なもの
(季節外れの睡蓮ですいません)
神も仏も
こんにちは。
昨日は、神宮へ正式参拝、お参りをさせていただきました。
とても大勢の方がお参りに来られてました。
まだまだ日本も捨てたものではないなと一人で思いながら、観光バスが次から次へ。
どのくらいの心事を思いながらお参りに来られてるのでしょうね。
そんな中、私たちの一人の若い女性が神宮大麻を買われました。
「お部屋に置くところないけど、お部屋でお祀りしたいから」
「毎朝、手を合わさないかもしれないけど」
「お社ないけどいいかな」
いいですいいです、お社なくても。
毎朝手を合わさなくてもそのうち手を合わせるようになりますよ。
その心が一番うれしいことです。
今日は仏の世界ですが、先日伺った薬師寺官長、村上猊下のお話を思い出しましたのでご一緒に。
お墓参りしてますか
お仏壇もお墓もいらない、お葬式もしないという時代になると、寺院や僧侶の必要性もなくなってしまいます。
心は形を通して育っていきます。
死という無常を受け止め、そのはかなさを感じている時こそ、宗教心が生まれるきっかけにしなければなりません。
現代の価値観の多様化に伴い、お葬式も多様化しています。
また年をとってきている家族にとって、お葬式は大きな負担になってきています。
他人に迷惑をかけないで身内だけで見送りたいという気持ちも分からないこともないのですが、ここ数年でお葬式もお墓も不要という人が増えてきています。
ご先祖離れ
地方から都会へ移り住んで、そのまま都会で一生を終えることになると、先祖や地域との繋がりはほぼありません。
仕事をしている中で、そこに気付いて考えている人も多くいます。
色々な宗教団体もそれなりにアプローチがあるのでしょうが、何が大切なことか、どうしなければいけないのかを考える宗教的環境は極端になくなってきています。
身内が亡くなった後、葬儀会社に頼んで火葬にしてもらうだけという人生の終わりをそんな風に事務的に済ましてもいいものなのでしょか。
過去から連綿とつながってきた命のあり方や、今生かされている自分の姿を考えると、お葬式を通して命のあり方を見つめなおすことは重要だと思います。
マッチをすれますか?
日本人の宗教離れは、今の宗教界が抱えている大きな問題です。
地方の寺院は兼務する寺院を抱え、必死に頑張っておられますが、何年か先には寺院の四割はなくなると聞きました。
先日、ある仏教系の高校の礼拝にお伺いした時のことです。
蝋燭にマッチで火を灯す儀式がありましたが、どうしてもマッチで火をつけることができない高校生の姿を見て愕然としました。
ライターはあっても、家庭にマッチはもうなくなってきているのですね。
お仏壇にマッチで火を灯すこともできない子どもたち。
便利・豊かさと引き換えに、人間の生きる智慧が引き継がれていかない社会になってきているのだなと思いました。
ありがとうございます。
私たちはいつの日か必ず「先祖」と呼ばれる存在になります。
それでは「先祖」の役割とは何であるか、先祖になった気分で考えてみたいと思います。
子どもや孫に手を合わせて想い出してもらう。
死んだ後の幸せを「冥利に尽きる」といいますが、お仏壇もお墓もなくなっていくと、想い出してもらえる機会も手段もなくなってしまいます。
大きなお仏壇でなくても構いません。
小さくて持ち運びも簡単にできるものでもいいでしょうね。
ご家庭にお仏壇をご安置し、ご先祖さまと私たちが繋がっていることや命の尊さを見直していただければと思います。
今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございます。
ご先祖さまに感謝。