二條さま 古事記のお話しの2 第七話の1
「の」と「に」
ここまで古事記を長く話してまいりました。
どのような神様をお話してきたかといえば、「アメノミナカヌシ」、「タカムスヒ」・「カミムスヒ」、「アメトコタチ」、そして最後は「アメノトヨクモニ」というところまでお話しました。
この「アメノトヨクモニ」。
ここまでは、日本の民族はどういう風にして色んなものを勝ち得て来たかということを神様の名前で示されたのだというお話をして来たと思います。
特に「アメノトヨクモニ」については、実は色んなところでは「アメノトヨクモノ」という名前で呼ばれています。
そちらの方を皆さんはご存知かもしれませんが、我が家では「アメノトヨクモニ」と伝わっています。
「の」と「に」となると意味が全然違うのです。
「の」にするのなら、「アメノトヨクモ」の何か、いわゆる所有物、所有権のつく助詞であるわけですが、「アメノトヨクモニ」となった時に、その後につくのは要言なのです。
体言ではなく要言。
体言というのは名詞のこと。
要言というのは動詞、形容詞、形容動詞ということですよね。
「アメノトヨクモ」に、何かをして貰う。
では、それは何なのだと言えば、それは「掟」なのだ、もしくは「法律」なのだという話を前回はさせて頂きました。
ありがとうを世界中に
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人間は必ず間違える
さて、この後に四代あっていよいよ「イザナギ」、「イザナミ」という皆さんがよくご存知の神様の名前が出てくるのですが、この四代を外すということは、やはり折角古事記を読むのに、つまらないのです。
実は、古事記の中では名前しか出て来ません。
「オオトノヂ」「オオトノベ」から始まって、「オモダル」、「アヤシコネ」まで、ここの間に四代、全部で八柱の神様がいらっしゃるわけです。
ここでは何回もお話申し上げていますが、歴史とは何のために学ぶか覚えていますか?
歴史は、間違いを繰り返さないために学ぶのではありません。
よく、歴史を学ぶというのは、ああいう戦争をしてしまったとか、ああいう人殺しをしてしまったとか、ああいう間違った政策をしてしまったことを、二度と繰り返さないために学ぶという風に思っている人がいるかもしれませんが、これは大きな間違いです。
歴史を学ぶ意味というのは、人間は必ず間違えるということを知るために学ぶのです。
人間は必ず同じ間違いをします。
人間だけではなく生きとし生けるもの、森羅万象すべて。
今日のこの場所に生えている500年もある五葉松。
これがまたすごいでしょう。
この松ですら戦っているわけです。
生きとし生けるものに、戦いを取ることは出来ないのですよ。
これは性(さが)です。
したがって、人間は、戦うというのは戦争ということになるわけですし、細かく言えば兄弟喧嘩だとか夫婦喧嘩だとか。
もっと言えば、自分の心の中でAがいいかBがいいかということで葛藤という戦いをする。
これも性(しょう)なのです。
生きとし生けるものの性(しょう)なのです。
したがって、戦いをやめることは出来ない。
これをやめてしまうと、宗教の専門用語でいうと「却業(きゃくごう)」というのですが、「却業」が出来ないのですよ。
却業(きゃくごう)
「却業」というのはわかりますでしょうか。
音楽をやっている人は、「ファウストの却業」という名前で、「却業」という字をよく使いますけれども、図書を返却するの却、それに生業と書いてカルマという字ですね。
製造業とか鉄工業の業で「却業(きゃくごう)」という風に読みます。
すごく簡単に「却業」を説明すると、仏様や神様でも3000年に一遍、人を殺めないと気が狂ってしまうというカルマ。
だから、大陸の方に行くと神様でも3000年に一遍、人を殺めるのです。
そうすることで自分の精神を保つ。
もしかしたら、人を殺めるだけではなくて、例えば虫を殺めたりとか。
ここに女性も男性も沢山いますが、子供の頃、女の方々は、男の子達が蝶々の羽をむしってギャーギャー騒いで何やってるんだろうと思っていたかもしれない。
でもあの時、男の子たちは有り余る男性ホルモンを発散しているのですよ。
そして、「気持ち悪い。」と言っている女性達。
女の子達は気持ち悪いと言っていることで、実は却業しているのです。
変な話ですが、台風が来ると少し外が見たくないですか?
海の側に行ったら波はどうなんだろうと一応見に行ったり、川の側に行ったら川の増水はどうなんだろうと、見に行ってしまう。
本来なら危ないからやめた方がいいのです。
でも、どうしても見てしまう。
私も最近、Instagramを見ていますと、リール動画というのが出て来ますでしょ。
ある時出て来た動画で、中国のどこかの方で、吊り橋があるのです。
吊り橋に渡り木が渡してあり、そこを命綱をつけて渡っていくという。
どうしても下に落ちるのです。
つまりそれは、バンジージャンプの一種みたいなのですが、馬鹿な人は自分で携帯を持ちながらやっていて携帯を先に落としてしまい、ああーっと自分も落ちていっていまう、というような。
見てて嫌なのですけれど、見てしまうのですよ。
戦争のニュースも、なぜこの時代に戦争なんかするのだろうと言っても、ニュースから戦争の一字を取ることが出来ない。
これは、ああいうものを見ることによって我々が「却業」しているのです。
人は必ず間違える
遠い所でやってくれていることで、自分の所に被害はないけれども、人が戦ってるという姿を見て、すごく奢った考えではあるけれども、「代理戦争を自分達の代わりにしてくれている」と思っていることによって、そして、「なんて酷いことになっているのだろう」と思うことで、実は「却業」しているのです。
だから、これはなくならないのです。
このように、人は必ず間違えます。
この、「人は必ず間違える」ということを学ぶために、歴史というのは勉強するのです。
間違わないようにしようと思っても、人間の業があるのだから、間違えないと出来ないのです。
よく考えてごらんなさいませ。
「今日こそはあいつと言い争わないようにしよう。」と思っても、顔を見合わせただけで頭に来てしまう、という事はありませんか。
親しければ親しいほど。
間違えるという事を知っていれば、間違った時に、人は間違えるものであるという風に自分の納得が効くのです。
そのために歴史を勉強するのですよね。
ですから、古事記は歴史書です。
こういう風にして我々は間違いを正しながら間違いをまた犯していくのだという風に書かれていると思っていいと思います。
覚えておいて頂きたい。
世の中を間違えないために歴史を学ぶと思っているのだったら、それこそが最大の驕(おご)りです。
したがって、間違った人を責めてはいけません。
なぜかというと、自分も間違えるからです。
必ず間違えます。
私もてぐさり者でございます。
良縁も悪縁も「宿縁(すくえん)」
何回も麻布署に追いかけ回されてですね、トラ箱というのですか、留置所にぶち込まれて翌日誰かに迎えに来て貰ったり、ここでは言えませんけれど、手が後ろに回ってしまうような事をいくらでもして来ました。
その度に、もう二度とやるまいと思っても、どうしても、こういうものは煽(あお)りましょう?
自分ではやってはいけないと思っても吸い寄せられていってしまう。
間違えます。
その時は叱りつけてもいいのですよ。「何で過ごしたのだ。」と。
でも、いくら過ごすなと言っても、過ごすわけです。
ですから、間違えるのだということを理解していると、頭に来るけれど許す事が出来る。
許せない事もあります。
ここには、喧嘩して許せないでセパレートになった人、私はよく知っている人達が沢山います。
でも、もはや心の中で許しているのですよ。
と同時に、会いたくないという許しをしているのです。
良縁も悪縁も「宿縁(すくえん)」です。
宿縁というのは、宿の縁と書いて、宿縁というのですけれどね。
一回結んでしまったものは絶対に切れない。
絶対に。
それが、徹底的な悪縁でも、絶対に切れません。
それが人間なのですよ。
ですから、この宿縁をどのようにして考えていくか、こういう事も古事記の中にはちゃんと書かれている。
ありがとうございます
あともう一つ、歴史は何のために学ぶかというのは、まさにこの四代の八柱の神様に示されている通りなのですが、女の人がどうやって動いたかという問題なのですよ。
歴史というのは、男の人のものだと思ったら大間違いなのです。
実は、その時女の人がどう動いたかという事なのです。
歴史の授業というと、女の人は一番不得意じゃないですか?
なんだか男の学科のような感じがしますよね。
現に、ここまで有名な歴史家というと、みんな男の人だったのですけれど、私はこれから女の人も出て来るのだと思うのですよね。
なぜなら、歴史に書かれている事が、大抵の場合、女性にまつわる事ばかりなのです。
そして、この四代の神様というのは、女の人がどういう風にして国造りに参画して来たかという事が書かれているという事なのです。
「オオトノヂ」「オオトノベ」。
それから、「イクグイ」に「ツノグイ」、「ウヒヂニ」に「スヒヂニ」。
そして最後が、「オモダル」に「アヤシコネ」。
何言っているんだろう、日本語なんですか?という様な感じですよね。
日本語です。
日本語なのですけれども、女の人がどのようにして集まって、どのようにして「推し」を押し上げて、そして、結果的に言うと名前は男の人になっているのだけれど、それを取り巻いているのは、絶対に女の人なのだという、そういう事なのです。
歴史はそうやって組み立てられて来たのです。
この星が笑顔あふれる毎日となりますように。
Hope there will be a smile everywhere, every day.
これからの子供たちに幸せな世の中となりますように
Wish the world will be full of happiness with children.
#ありがとうを世界中に
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