古事記の魅力④ ~桜、生命の再生、もののあわれ~
もののあわれ
こんにちは。
「桜、生命の再生、もののあわれ ー日本のこころと古事記ー」(4月4日の記事より)
今日はぽかぽかと暖かく、絶好のお花見日和ですね。
本居宣長は「敷島の 大和心を 人問わば 朝日ににおう 山桜花」という有名な歌を詠みました。
Facebookのタイムラインは、桜の写真にあふれています。
なぜ日本人は時代を超えて、こんなにも桜が好きなのでしょうか。
それはおそらく「生命の再生」「もののあわれ」を、桜に感じるからでしょう。
そんな観点から、今日は古事記をご紹介します。
ありがとうを世界中に
Arigato all over the World
1.生命の再生への畏怖
昔は科学が発達していないので、枯れた木々や花が春になると再び芽吹く様子を、不思議に思い、その尊い様子に神様の姿を重ね合わせました。
古事記の中では、スサノヲがオオゲツヒメという女神を斬り殺した際に、その体から蚕や五穀が生まれた様子が描かれています。
まさに古来の「死と再生」の捉え方です。
アマテラスの岩戸籠もりの後、荒れに荒れた世界に日が差して秩序が戻る様子にも、再生を予感させます。
春は再生の季節であり、その象徴として桜が好まれるのでしょう。
2.もののあわれ
春の象徴としては他の植物でも良さそうですが、私たちは散りゆく様子も含めて桜を愛でます。
ずっと咲いていてくれる方が良いのに・・・なぜでしょうか?
きっと桜の散りゆく様子に「もののあわれ」を感じているからでしょう。
平安時代に書かれた源氏物語が「あわれの文学」と言われますが、もともとあわれを感じる精神的な素地があったため、人々に受け入れられたのでしょう。
その精神は古事記にも、もちろん描かれています。
海の国の姫であるトヨタマヒメは、「出産の間、私の姿を見ないでください」と夫であるヤマサチに禁忌を言い渡します。
ところがヤマサチは、気になって覗いてしまい、トヨタマヒメの本当の姿が大きなサメであることを知ってしまいます。
これに恥じたトヨタマヒメは、美しい歌を夫に授け、海の国に帰ってしまうのでした。
ありがとうございます
臨床心理学者の河合隼雄さんは、キリスト教の「原罪」にあたるものが、日本では「原悲(深い悲しみ)」として存在していて、その悲しみが日本人には美しく感じられると分析しています。
鶴の恩返しも同じですね。
桜の散る姿を見て、悲しくも美しい別れ、「もののあわれ」を感じるのでしょう。
日本人の桜好きは、DNAに刻まれた古来の記憶によるんですね。
こんなちょっとした小話を頭の片隅に置いて、今日はゆっくり桜と日本のこころを満喫してください♪
今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
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