葉室家 | 和の素敵
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葉室家

「葉室顕隆」葉室家家祖 「夜の関白」

    葉室家とは 葉室家は名家の家格を有する公家です。藤原北家勧修寺派の支流で、藤原高藤のの後裔で、参議藤原為房の二男・顕隆(延久4年(1072)~大治4年1月15日(1129年2月5日)を家祖とします。 藤原鎌足(推古天皇22年(614)~天智天皇8年10月16日(669年11月14日)から数えて高藤で8代目、為房が15代目、顕隆が16代目となります。 葉室家、家祖顕隆から数えて現当主が38代目となりますから、鎌足から数えて53代となります。家名は、3代光頼が京都洛西の地、葉室(京都市西京区葉室)に営んだ別業に因...

「法蓮房信空上人」 我がご先祖様のお話し

  ご本尊の蘇り こんにちは。12日に浄住寺ご本尊が皆さまのおかげで蘇ってお戻りになり、数日たっても嬉しくてしょうがない私です。 そのご本尊の修復中に胎内経が4巻、そして「南無阿弥陀仏」の六字名号が書かれた半紙が一枚。 その半紙には「本山黒谷三十六葉 薫誉寂仙」と書かれていました。 黒谷金戒光明寺の三十六世寂仙法主でした。 黄檗宗のご本尊の中から浄土宗の法主の書が? 法然さんと信空さん 「黒谷さん」と親しまれている金戒光明寺は、その昔、比叡山の西塔黒谷を下りられた法然上人が開かれました。 法然上人が綴られた「没後起請文」、つまり遺言状のなかに記されて...

葉室家 信空上人(1146-1228)

  葉室家 信空上人 写真は金戒光明寺蔵 信空上人坐像合掌をして坐したまう信空上人の座像は「黒谷誌要」によると作者未詳と記され、いつの頃につくられたか知るよしもない。じっくり拝していると、大変親しみのあるお顔、肩幅の広い、どっしりした体躯、次第に上人のぬくもりが伝わってくる。(黒谷文化7 「法然房信空上人 著:藤堂恭俊さん」より)  葉室家初代、顕隆の弟 長隆から四代目が信空。長隆→顕時→行隆→信空。金戒光明寺開山は法然上人、一番最初のお弟子であり第二世信空上人となられました。 ...

葉室家 葉室光親(みつちか)3

  葉室家 葉室光親(みつちか)3 金山神社古屋川沿いから少し南に入るだけです。この神社には藤原光親の首塚があるとのこと。 金山神社の石祠。一般的な石祠と比較して、かなり大きなものです。石祠が光親の首塚に当たるのかもしれません。 コンクリで覆われた社殿。 社殿内部。 古屋敷の桑原氏が奉斎しているようです。この神社には藤原光親の首塚があるとのことで、石祠がそれに当たるのかもしれません。桑原氏は奥州藤原氏の子孫とされる...

葉室家 葉室光親(みつちか)2

光親卿は、1928年(昭和3年)11月10日、贈従一位を賜わったのですね。 はじめ近衛家に仕え、やがて後鳥羽上皇の信任を得ます。 後世、院の執権は光親に始まるといわれる程(『小槻季継記』)上皇に重用されました。 上皇の妃修明門院や順徳上皇にも近侍し、また妻の経子(参議藤原定経の娘、吉田為経の叔母)と娘の満子はともに順徳上皇の乳母でありました。 実は討幕に反対であったともいうが(『吾妻鏡』承久三年七月十二日)、光親室が預所だった河内国甲斐庄で軍勢が集めら...

葉室家 葉室光親(みつちか) 3代光頼の三男光雅の次男

  葉室 光親(はむろ みつちか) 安元2年(1176年) - 承久3年7月23日(1221年8月12日))平安時代末期から鎌倉時代にかけての公卿。藤原光親とも言う。権中納言・葉室(藤原)光雅(みつまさ)の次男。(葉室光雅:権大納言・葉室(藤原)光頼(第3代)の三男)官位は正二位・権中納言。1928年(昭和3年)11月10日、贈従一位。  光親は後鳥羽院の側近として年預別当や、順徳天皇の執事、近衛家実や藤原麗子の家司なども務めた。承久3年(1221年)に承久の乱が起こると、...

葉室家 六字名号「南無阿弥陀仏」

  六字名号「南無阿弥陀仏」 こんにちは。先ずは、お三方の紹介から。・鐵牛道機(てつぎゅうどうき)寛永5年7月26日(1628年8月25日) - 元禄13年8月20日(1700年10月2日)浄住寺中興、黄檗宗開祖の隠元和尚の弟子。 ・独湛性瑩(どくたんしょうえい)崇禎元年9月27日(1628年10月23日) - 宝永3年1月26日(1706年3月10日)黄檗山第四代 ・薫譽寂仙(じゃくせん)正保元年(1644年)—宝永6年(1709年1月17日)金戒光明寺三六世 ...

葉室家 葉室顕時と黒谷金戒光明寺

https://www.youtube.com/watch?v=M1nr9gCfTyE  黒谷金戒光明寺と葉室 もともと、この地は、平安時代末期、中納言 葉室顕時の別荘があったところ。顕時は法然上人の師、叡空上人(生年不詳 - 治承3年4月2日(1179年5月10日))と親交があり、幼少の孫(信空上人)を叡空上人に預けると共に、この別荘を寄進していたのでした。法然上人はこの別荘に一泊する予定でしたが、夕日の美しさに惹かれ丘上に登ると、そこにあった半畳程の大きさの白河石に腰をかけて、念仏を称えたといわれます。すると、たちまち紫雲が棚引き、光が四方に満...

葉室家 第26代 葉室頼胤 

     葉室頼胤 第26代 (1697年 - 1776年) 葉室家家系図を書かれた方  父:権中納言 橋本実松 義父:権大納言 葉室頼孝 初名:久俊1747 権大納言 1755 従一位 1771 准大臣妻:(父:権中納言 葉室頼重)1715-1794 子: (養子)頼要 ご先祖さま、ありがとうございます。     ...

葉室家 家系図 

  葉室家 藤原鎌足から七代目良門、から八代目為房の子、顕隆から葉室を名のります。  1100年頃です。鎌足から16代目ですね。鎌足→不比等→房前(北家)→真楯→内麻呂→冬嗣→良門→高藤→定方→朝頼→為輔→宣孝→隆光→隆方→為房→顕隆現当主、頼由さんが顕隆から38代目。藤原鎌足から53代目。 ご先祖さま、ありがとうございます。 ...
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