下谷神社 東京・上野
下谷神社
こんにちは。
今日のご紹介は、東京上野の日本武尊
祭 神 名 大年神(おおとしのかみ)
配祀祭神名 日本武尊(やまとたけるのみこと)
大年神は天照皇大神の御弟素盞雄尊(スサノオノミコト)の御子で五穀を主宰し厚く産業を守護し給い、
倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)共にひろく「お稲荷様」として祭られている神様であります。
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は第12代景行天皇の皇子で智仁勇を兼備え諸国を平定して
御恩威を四方に輝かされました。
下谷神社は、人皇第45代聖武天皇の御代天平2年(西暦730年)に峡田の稲置らが、
大年神・日本武尊の御神徳を崇め奉って上野忍ヶ岡の地にこの二神をお祀したのが
創めであると伝えられて居ります。
第61代朱雀天皇の天慶3年田原藤太秀郷が相馬に向うとき
当神社に参籠して朝敵平将門追討の祈願をなし、その平定の後報恩のため社殿を新に造営しました。
降つて、寛永4年寛永寺を建立するに当り、社地を上野山下に移されましたが
狭いので延宝8年、更に広徳寺門前町に替地して社殿を造営しました。
当神社は昔から「正一位下谷稲荷社」と称し奉られていたので、
この時からこの町を稲荷町というようになりました。
明治5年に神社名を「下谷神社と」改め、翌6年郷社に昇格いたしました。
大正12年大震災のため、社殿を悉く焼失しましたのでとりあえず仮社殿に遷座しましたが、
昭和3年土地区画整理により改めて社地を現在の所に定め、
同6年社殿造営の工事を起し同9年完成し本遷座し奉りました。
その後東京は御承知のように戦争の災禍に遭いましたが、当神社は御祭神の偉大な御神徳により、
奇しくも御神体御宝物はもとより、社殿全建物に聊かの損害もなく、平成5年には社殿屋根の修復、
平成10年には床の補修工事を終えその荘厳さを保ちつつ現在に至っております。
尚、下谷神社は寛政10年(西暦1798年)に江戸で初めて寄席が行われた由縁の地で、
境内には「寄席発祥の地」の石碑が建立されております。
下谷神社の阿部宮司は、4年前の東北大震災の後、
流された神社のお社再建に知力されている立派な宮司でいらっしゃいます。
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